軽トラのおじいちゃん

2019/01/06 軽トラのおじいちゃん


先日の投稿は気に入らなかったようです、電磁波が強力になりました


午前中に完全に電磁波なおじいさんがやって来ました

たぶん僕に事件を起こさせるのが目的なのでしょう

車のなかで横になっていたら横付けして睨んできました

変なやつだなとでも思ったのでしょうか、さらに電磁波が強力になりました

するとゆっくりなめるように通過してターンして帰っていきました

電磁波は弱くなっていません、たまたまでしょうか、、、


こんなことにすら神経を奪われるのは最近部落民のなかで流行っている行動によるものです

僕を見つけると「お、おい!、、、」「う、うん!」とサスペンス劇場ばりの描写を繰り返してきます

本当に「お、おい!」となった場合は対象にきづかれないようにするでしょうがそれすらもわからないほどに言われたことしかできないのでしょう

洗脳された人というものはそういう頭の固い人が多いですよね

というかそういう人しか洗脳されないし、言われても恥ずかしくてやらないと思います

お、おい! う、うん!

一体何のための税金なのか

このコミュニティを維持するために多くの税金や多くの迫害されている人々という犠牲があります


きっとそのうち彼らは霊が見える、気功を使える、といい始めます

なのに電磁波攻撃は無い、頭おかしいんじゃないか?と言います

気持ち悪いですがやはりそれを突き抜けるほどの怖さというものを感じます

なぜこのような人々にも同じ選挙権が与えられ、それどころか国権に近い存在として存在し、様々な特権を行使し、特別扱いが未だ許されるのか

それどころかその支配は資本主義の特性上、どんどん強大になり、更には語ることすらも許されないという気密性により不透明な部分が多く大衆と乖離した共通認識により民主主義を歪め続けています


多様性の議論にしても差別は絶対にしてはならないという前提、部落民や済州島民、在日が日本国からお金をせしめるために作り上げた洗脳が自分達にかかっていることも認識できないほどに盲目は広がり腐敗しています

それが昭和を代表する世界権力の中枢にある理念だという恐ろしい時代です

そもそも差で分けることができないのであれば犬も人間も同じなのだから差別するなといっている人々は今日から家畜として生きてもらいましょう

ふざけるなというのであれば犬や猫を差別するなと言いたいです

朝起きて、床とセックスして壁にキスをして玄関に愛してるといい仕事に向かいお腹が減ってきたらその辺にある手頃な肉を調理して食べ、どぶの水をのみ、社長に疲れたから変われと言い、赤ちゃんに敬礼をし、今日の任務を聞きましょう

仕事と休みを差別してはなりませんので出来ることはすべてやり続け思考停止するまで働き家に帰り、朝起きてムラムラしたらお母さんとセックスをしましょう

床よりはお母さんの方が良いのではないでしょうか?

いえ、それは差別になりますね

昨日は床でしたので今日は壁としなければ責任がとれません


まぁ、それは冗談ですが差別してはならないというのは迫害してはならないという意味であり、差で分けてはならないという意味ではありません

差で分けなければ社会どころか人間性すら保てないことがお分かりいただけることと思います


それでは真ん中とは何処なのでしょうか?

その真ん中がわかれば私たちがあるべき所やこれからの指針や判断のある程度の基準として考えることができるのではないでしょうか?


人は生まれながらに自分を大切にします

痛みがリアルに直接感じることができるため生まれたときは右と言えるでしょう

しかしこの右というものはイデオロギーとして右と表現されているだけで人間として、生物として、生命体として当たり前のことです

草や木も地中で根の張り合いをして戦っています

譲合いや謙遜もなく、奪い合い、時には殺し合います


さて人間はどうでしょう?

人間も多分漏れ無く殺し合い迫害し合い戦争を繰り返してきました

僕はこれが真ん中だと思います

ありのままの姿

自然な姿

神様の形


生物は生まれながらに神様で自然と全く同じものです

時を経て僕たち人類は未来を恐れ、考え、思考し、痛みや喜びと共に生きてきました

そのなかで培われたものが左であり、理想であり、論理であり、いいわけです

このブログにある哲学や論理の矛盾を読んでいただければ理解は容易いのですが簡単に説明すると本能に根差した反応、つまり先程真ん中と表現したありのままの姿を左脳で論理的に考える

つまり答えが先にあってその答え、現象を説明しようとしているものが論理であり、それは科学や哲学と言われるもので自然にあるものを人間が納得するためのものです

この思考そのものを表現したものがパンドラの箱と言われるものであるのだと思いますが、まさに人間は論理を手に入れてから自然にある厳しさに絶望し戦いの日々、蛇の道を余儀なくされました

これは起きた現象を認識し思考するという神に逆らう行為であり、まさに人間が人間足るゆえんと言えるのではないでしょうか?


アカデミアの人々に怒られるかもしれませんが、この論理というものは実は何一つハッキリとしたことは説明できず、どこまでいってもどちらかハッキリと決めることだけは間違いとなります

こういうと飛行機は飛んでいるとか相対性理論がどうだとか言われるかもしれませんがそれは限り無く突き詰めていて現実世界では一応使えるなというだけで実は完全に制御できているものではありません

それを説明するにはなぜ事故が起こるのかということと同じことだと僕は考えていて、どれだけルールや訓練により人間を高めようとどれだけ完璧な理論で突き詰めようと計算されていない偶発的なことが起こるということがまさに論理というものの持つ特性であり、人間が神に逆らうことができない証明ということです


その神とは自然であり僕たち日本人には親しみやすいものです

お前は朝鮮の血が混ざっているという野暮なことは言わないでください


つまり右と表現されているものは神に近づく行為であり、僕たちは生まれながらに右で文明を構築する論理のために少しづつ左に向かいパンドラの箱を開けています

このパンドラの箱を開け続けることにより、より研ぎ澄まされたより究極の論理、神に勝つことはできなくても出来るだけ人間を神の戯れ事から守ることができる論理を構築できるのです


しかし人類は罪を犯しました


論理を論理のために弾圧し、神どころか仲間内で殺し合いを始めたのです

ただ殺し合うだけでは飽きたらず、迫害し、いたぶり、生を弄んだのです


この罪により、僕たち人類は自らに罰を与えることとなりました

それがまさに論理により構築された差別をしてはならないという呪いなのです

さらに日本ではパンドラの箱の中にその存在すらも語ることは許されないと言うさらなる箱を用意し、鍵をかけてしまったのです


それが実に百年ほど前のこと


つまりより適切な論理、出来るだけ完璧に近い論理を構成するために必要なピースが無い状態で僕たちは議論しています

それどころかその議論をする人々すらそのピースの存在の重要性を忘れ、子供たちを教育し、その子供たちが子供を作り、実に長い月日が流れたのです


僕のような低能な人間が偉そうにいうなと思うかもしれませんが低能だからこそわかることもありますし、低能だからこそ見えるものもあります


このブログの問いかけは右が正しいや左が間違っているというものの為のものではありません

開けなければならないパンドラの箱を開け、盲目が少しづつでも晴れることを願っています


人に毒を盛ってはいけません

電磁波も利用の仕方で虚悪を生んでいます

弾圧や迫害、分断や差別、強制や抑圧だけではなにも解決しません

差別が必要な人々が絶対的に存在します

痛みを伴う覚悟を持った人だけが見える真実があります


この国を蝕んでいるのは、、、