今日から僕とします

今日から僕とします


今日、僕が綴りたいのは狩猟界に蔓延している部落民の洗脳についてです

またお前は部落部落とうるさいなと思われるでしょうがこれは人間が生まれながらに生徳的に持つ真実に基づく絶対的正義による自衛手段なのです


狩猟界では猟友会と言われる組織がありますがみなさん知っての通り山に忍び生きる人々を超国家思想の元で平地の人々と一つにしようとしたときに生活水準の差から部落民と言うカテゴリーを被害的に表現した人々がいます

勿論ホントに被害にあっていた地域や人が少なからずいるわけですが普通の山岳民族もこの被害集落となる権利が発生し、貧しい生活をしていた人々は生き延びる為にこれを大いに活用しました

つまり山と言うものそのものが部落民のテリトリーと言えます

そのテリトリーを納める人々ですから少なからず部落組織と深い繋がりのある組織であることはご理解いただけることと思います


北海道では間違えて発砲し殺害した事件がありましたが勝手な想像ですが洗脳された、またはお金かなにかに目の眩んだ済州島コミュニティの人が狩猟免許と引き換えに殺害したのではと思っています。


昨今の電磁波攻撃なる無実で善良な人々を二次被害や三次被害により虐殺に追い込んでいる何かしらの正当性を感じている気持ち悪い組織の活動により僕は山のなかに潜んでいます

もう一ヶ月になるでしょうか?

正確にはわかりませんし、どうでもよいです

山は好きですがまさか長期生活する羽目になるとは、、、

飽きてきました

と言うよりもっと根元的なところでハフトゥーなのだということのようです

ガクッ


山で生活していると太陽の位置や風向き、鳥たちの動きや天気などこれまで気にも止めなかったことに神経を使うようになります

それ自体は全く苦にはなりませんし、それどころか自然と調和する喜びと言うか、人間界では得られない崇高な感覚に満たされ、野山を駆け回り、野性動物と会話をし、風力と植物たちの戯れに耳を傾けます


そんな心地のよい世界の中で気になってしかたがない

なんだか許しがたい

とは言えそれはきっとバランスを取っているんだろうな

だがその根底にはやはり部落民の卑しい感性から来るものを感じずにいられないな

といったようなことがあります


それは笛です


日本での狩猟の一番の大物は熊でしょう

その次に来るのが鹿

そして猪でしょう


銃を持ち、山に入り、鹿の鳴き声をまねする笛を吹くと鹿が仲間だと思い寄ってくる

その鹿を仕留めようという作戦です


山で寝ていると鹿が遠くの方で

ピィーーーーーーーィイィィー

この音は活字にすると見た目はかわいいですが、近くで聞くと破裂音のように始まり最後の方の音には喉の共鳴している部位のゴロゴロという鳴りが入り、野性動物っぽい力強い生命力を感じます

すると近くにいた鹿が

ピイィイッ?

この音は自然の神秘を感じさせ、はじめの音をド、だとするとその後少し下がり最後の音はミ、又はソ、つまりハモると言われる音階となっています

日本人の感覚でいうと?マークのつくようなキーの上がり方で鹿たちの会話には「どこ?」「何で?」と子供が駄々をこねているような感覚になります

又は

ピィイッ?

「ここ?」「ホント?」と何か疑問を感じているような返答をします


その会話に入ろうと口笛で真似をしましたがキーの高さが合いません

だけど鹿たちは疑問を感じたようにピィイッ?ピィイィイッ?と返答してくれます

すると遠くの方からピィイィイッ?ピィイィイッ?と返事をしているようです


実際には何を話しているかはわかりませんがお互いに位置や何かしらの具合や生存確認なのか、共通認識を構築しているように感じます


ところが山にいる銃を持ち、笛を吹いている人々は「フゥイフゥイフゥイフゥイフゥイ」と言う何かの鳴き声を真似しています

それも10人いれば九人がこの吹き方です


ここからは想像に過ぎませんがきっと説明書に4、5回鳴らすとでも書いてあるんだろうな、何度か繰り返し鳴らす、かもしれませんがみなさん大体4、5回です。

確かに私が聞いた鹿たちの会話もそんなに長話はしません

大体4、5回、その会話がもう一巡繰り返されるか、と言ったようなもので多分お母さんや群れのリーダーが違う群れや子供に位置を教えたりしているのでそうなるのだろうと感じました

「どこにいるの?「ここだよ」「どこ?」「ここだよ、ここ!」といったような感じでしょうか


しかし私を偵察に来たと思わしき猟友会のおじさんは見事な笛を吹いていました

少し低く感じましたがピィーーーーーーーィイ?と見事な鳴りでした

完全に無視されていましたがその日に聞いた笛はそれだけでした

銃声も入ってすぐに発砲しただけでその後に聞こえることはありませんでした

多分狩りをしに来たわけではないのです

電話も持たず山に潜んだ私の位置を確認しに来たのです

そしてその日の夜から見事に電磁波攻撃が再開されました


技術を教えないのは職人の世界ではわりと当たり前のことで、見て盗む、見せてくれると言うのは優しさだ、と言う感覚が僕にはあります

それはやはり部落民の文化を受け継いでいると言うことなのかもしれません


しかし僕がここで言いたいのはそんな密教のような求心力についてや技術や秘密を守ると言うことの大切さ、ましてや部落民の卑しさを表現しイメージ操作したいわけではなく

「フイフイフイフイ」と山のなかで聞いたこともない奇怪な音を発している昭和教育の歯車たちの被害についてです

あの音を聴くと鹿たちはまず間違いなく離れていきます

笛を買ったらまず説明書を読むのかもしれませんがゆとり教育を受けている人たちなら店の人に聞いたり、どんな鳴き声なのか動画で確認したり、正確な吹きかたを調べたりするはずです


なぜなら、わからないからです


道具を買ったらまず適切な使い方、基本くらいは教えてもらおう、あとは自己流や出会った人に聞いたりと偶発性を楽しもう、と言ったような考えになるとおもいます

というか他に選択肢はないのです

なのに山に訪れる40代50代のおじさんたちは説明書を読んで「なるほど4、5回鳴らせば寄ってくるのか」「全然鹿がいないなぁ」「今シーズンはもう終わりかもな」とでもなっているのでしょう

危険です

なぜこんなことになったのでしょうか?

彼らはいったい何を考えているのでしょうか?

それはまさに昭和の義務教育が育てようと考えた言うことだけをただタンタンとこなし死んでいく人間ならざる人間

つまりミスをすることを考慮した歯車なのです

その歯車に例えば殺人を肯定することは簡単です

なぜなら国が言っているから

ルールだから

上司に言われたから

宗教でそれが正しいとされているから

といった理由で何でも手続きに沿って行う、まさにユダヤ人の虐殺を適正手続きに乗っとり真面目に忠実に行った官職の鏡、エリート中のエリート、ナチスのアイヒマンのように


しかしここで考えなければならないことがあります

それはどちらが国家にとって有益だろうかと言うこと

僕のように自分で感じ考え表現する人間は国家にとって不都合な存在なのでしょう

いう通りになにも疑わずただ言われたことを繰り返す、そんな人間とは言いがたい人が増えれば国家は低コストで高搾取が可能となります


しかしこれは同時に起きてはならない現象を産み出すことになります

それはその人々が国家の方向性を決める立場に立つときに起きてしまう小さな世界観での最適化です

なにも思考してこなかった人、なにも考える必要がなかった人々、親に決められたレールを歩き、社会が良しとする道をただ歩いてきた人

そんな人がどっちに向かうか決める

どうやって向かうのかを決める

なぜそうなのか

なぜ向かうのか

この笛はどんなふうに吹くのかすら考え付かない人々が「5回鳴らせば寄ってくるのか」「ここには鹿はいないなぁ」「この国はもうだめだ」「氷河期が来るから人口削減しないと自分達が危ない」「この殺戮は必要悪だ」「悪いものだとはわかっているが背に腹は代えられない」「私たちはエリートなのだ」と行っているのが現在の日本のシビリアン・コントロールなのです


宮台先生はこの現象を感情の劣化と表現していますがそんなオブラートに包むのはもう止めてあげてください

長期的にはあの人たちのためになりません

これは知能障害です

危険です

電磁波をやめてください

やるなら40代後半以上に限定してください

下らないことで人生を浪費して負担がかかり、生産性が下がり、国益を損ない、インセンティブがさらに失われています

そして何よりも気持ち悪いです

世界は心でできています

お金も心次第です


そして何よりもそういった歯車や奴隷を作り出すために尽力してきたコミュニティこそが閉鎖的密教空間である部落コミュニティではないでしょうか?つまり大衆にこれまで教えてこなかったリアリズムを教えることにより宿罪が晴れると言ったようなものではなく、外圧的な作用により洗脳を解く義務や責任、必要性に迫られているのではないでしょうか?

勿論歯車教育や統制に方向転換したこと自体は別に文句はありません

よい選択だとは思いませんが少なからず歯車たちの不条理を無くすことには寄与できていますし、国体を短期的に守ることはできますし、先伸ばしにすることで考える時間を得ることができます


しかし考えなければならないのはそれでホントにみんなが救われるのだろうかということであり、国家が政府が政治家が考えるべきことなのだろうかということなのです


考えなければならないことは資本主義とは民主主義とは価値とは日本のあるべき姿、世界での日本の役割や責任とはなんなのかということでその新しい価値の創造こそがクールジャパン、日本をブランディングすることであり、国益となるのではないでしょうか


強制、返済、痛み、脅し、反発、責任、強さ、固い力といったような理念によるエネルギーを若者に求めないでください

受けた洗脳が違うのです

ゆとり、寛容、許し、施し、育む、容認、優しさ、共生、調和、循環etc.,.

中国に剛に対し剛では必ず負けるどころか遺恨を残すことになります

米中で剛対剛で戦っていただけるのは本当に感謝するべきものですが日本はやはり柔により構える、又は構えすら取らない、

つまりこのブログにあるような

日本が助かるには

にあるようなもので悪く言えば寄生虫のようでいて良く言えば善玉菌のようにいてくれなくては困る存在となり、皇室を中心とした世界の懸け橋、世界の文化日本、全ての人々にとって都合のよい新しい世界の理念を生み出す日本となれることが最善なのではないでしょうか


そのために必要なのは資本主義を考え直し、国内の歯車たちを人間に戻してあげることにより世界に貢献し、その歯車たちの犠牲になってきた狭間世代の人々の心の闇をケアし、インセンティブに火を付ける着火材になれるようなそんなサクセスストーリーを大人たちが魅せてくれることなのではないかと思う次第です


ただ問題は歯車のサクセスに魅力を感じることができないだろうということです

物欲に支配されている歯車たちに魅力を感じさせることはお金があれば簡単にできますが、、、


この国を蝕んでいるのは、、、