神様になる

2019/01/08 神様になる


仏陀さんに憧れていました

身を切る改革をし、辛さを乗り越え、恐怖に打ち勝ち、すべてを超越した人

そしてその後に世の人々に教えを説いていき紆余曲折を経て多くの弟子を持ち惜しまれながら死んでいく

そんなイメージです


しかし手塚治虫さんの仏陀という漫画を読むとあることが描かれています

それは薬物に犯されている場面です

この描写が真実かどうかは分かりませんが当時の時代背景や食べ物の枯渇していた時期に野草を食べてトリップすることなど特に珍しいことではないように思います

そして薬物というものは覚醒剤に限らずタバコにしてもお酒にしても強烈なインパクトのあるものであり、確実に遺伝子に書き込まれ代々受け継いでいくこととなります

その良し悪しについては歴史が決めることでしょうからここで明言することはありませんが確かなことは神様は飛んでいるということです


飛んでいるとはどういうことか


飛んでいるというのは神経が普通ではなくなっているという小生です

神様は苦しみから逃れるために更なる苦しみを自分に与え乗り越えようとしてみたり、快楽に溺れてみたり、様々な経験します

その中で薬物に出会ったり、騙されて毒を飲まされたり、つまり普通では経験し得ない喜びや苦しみを体験しているということです

そしてその上で死ぬ気になって菩提樹の下で瞑想に入りすべてを受け入れ悟りを開きます

僕も実は薬物の影響で悟りを開いた経験があります

これは何でそれが悟りだとわかるんだ?と思われるかもしれませんが完全にわかります

電磁波攻撃と同じで電磁波攻撃だ!と感覚で分かります

また緑の便が出始めました。電磁波をやめてください。ただでさえあまり食べていないのに栄養を吸収していないようです

しかしそこに至るまでに越えなければならないものがあります

それが恐怖や絶望です

その話の前になぜ僕がそのような薬に手を出したのか聞いていただきたいのですがこれは済州島部落コミュニティによる画策です

私の一族は何やら恨まれており社会生活を困難とするためにあらゆることをされてきました

そしてこのときは販売者が一本飲んだら死ぬ可能性があると言われていたものを二本飲みました

と言うのも友達が今思えばですが私の存在が邪魔になったのだと思います

友達のいない彼は僕のいた町に引っ越して来て家賃を払わずに一緒に住んでいいから友達を紹介してほしいと言われました

貧しい立場にあった僕は裕福でかなり稼いでいた彼に甘えて悠々自適の生活を送ることにしました

しかし多分うっとうしくなったのだとおもいますが薬に溺れていた彼は疑心暗鬼になり、少しづつ変な感じになっていきました

そんな中で殺そうとしたのか済州島民の活動なのか、合法のものだからと小瓶を渡してきました

好奇心旺盛な僕は飲んでみましたがなにも起こりませんでした

するとすかさずもう一本渡してきました

二本目を飲んだ数秒後に目の前の映像が波打ち、どんどん歪んでバーコードのようになりました

危険を察知し目を瞑りましたが頭の中がうねうねと波打ちヤバイヤバイという感覚に教われます

その時点でもう自我を保つのが精一杯で気が狂いそうになっていましたがこれまでの経験上、何度もヒ素を盛られ絶望や言い知れない恐怖に教われ気が狂った経験から、この鬼気迫る場面では平静を保とうとするのは危険だと判断し、覚悟を決め「俺は今、最高に幸せだ!」と言って聞かせるさらに上の絶対的な信念や覚悟の上にある確信を持つという最高に幸せだという覚悟を決めました

かなりの負担ではありました

すると頭の中でムチムチと音がなり、まるで水になったかのような感覚と同時にすべてが繋がっているという確信と自分は何でも出来るという自信が訪れました

そしてゆっくり目を開けると明らかに天井にある電球なのですがこの方向は神がいるという感覚に満たされ深い安らぎと安心を得ることができました

そしてまた目を瞑りかねてからの夢だった南国へと旅立ちました


多分その間数秒だとは思いますがとても長く感じました

周囲で私のことを見ていた人達はみな済州島民で今思えばなぜ私だけがその薬を飲んでいるのだろうかなど不思議なことはたくさんありますがその当時は今思えば慢性的にヒ素を混入されていたようですので意識がほぼありません

よだれを垂らしハッとしてそのなにか絶対的なことを書き残そうと紙とペンを手に取りましたが何も書けません

そしてまた考えて確信を得て紙に残そうとしますが何も書けません


なぜか残念そうな友達はその数ヵ月後に気が狂い何処かに行ってしまいました

以前いた町でも同じようなことをしていたそうですのでそれを理解した上であればもっと違う未来があったのではないかと悔やんでいます

しかしその町では許さないと言っている人々がいるので帰っては来ないかもしれませんがたいした失敗じゃないのだからと感じています


悟りを紙に残そうとした画用紙を後で見てみると小さな丸い点だけが残されており、非常に感慨深かったのを覚えています


その時に感じたことを言葉で表すなら、全てはひとつです


それからの僕はなにか変わったのかと言えば特に変わっていません

そのときの絶対的な感覚を信じてはいますし、全ては同じものだからというまさに極左と言えるような全く差別の無い感性というものを認識はしていますがずっとあの感覚に飲まれているわけでも、なにか超越的な力を手に入れたわけでもなく、絶望を嫌い、快楽に身を委ね、卑しく生きています


これこそがまさに悟りであり、人は人であるという答えなのだと思います

ただあの感覚を感じたことがあるのか無いのかで絶対的に違うと思うのはいざとなったら覚悟を決めることが出来るのかどうかだと思います

どこまで自分を捨てることができ、本当に大切な真ん中の自分をどれだけ守ることができるのか

この論理はまさに昨今行われている右だの左だのの議論と同じものであり、どちらかだけを正解と固定することだけは間違いであるということなのだと思っています

一番外側の自分、生きてきたそのままの自分の一番外側を守り生きていくのか、削って削って削って削って尖らせた芯を新を真を剥き出しにして生きていくのか

それは人それぞれではないでしょうか?


しかし早い内に自分という何かの殻を破ることをできた僕は地元ではなかなかあか抜けたのではないかと思います

しかしこの戦いというか反応も行い続けることに意味があるのだと思っています

新しいことにチャレンジし、殻を破り克服し続ける中で自分に与えられた生を感じ今を生きることが出来ると思っています


型にはまり生きていくこともひとつの選択ではありますが多分ユダヤか中東の血が混ざっている僕は何かしら旅が必要なようでこれは遺伝子がもたらす反応であり、流れ作業をするとヘドが出て自殺しそうになります

僕のうつ病はオナニーのしすぎもあるかもしれませんが何よりも影響しているものは退屈さです

すべての人が差別なくといった正しさや平等さといったものもあるのでしょうがそれよりはすべての人が適材適所当てはまるように社会を多様な生活様式に備えることの方が良いですし、それなしには社会を形成することはできないと思います

そのときに必要な理念が

差別をしなくてはならない

ということなのではないでしょうか?


すべての人々が自分にあった生を享受できる社会が形成されることを願っています


この世を蝕んでいるのは、、、