お金でしょ

ほげ?それ僕じゃない


世間では守銭奴たちが社会性が高いと評価され悪しき行いに目をつむることでみんなと同じ生活を手にいれている

同じファッション

同じ家

同じ感性


そして彼らは村八分の人々を蔑んだりすることで自分の心を守っている

ほんとは奴隷なんだけど認めたくないんだ

認めないから奴隷なのに


そんな彼らがかんしゃくを起こしてしまうこのブログだけどその中で度々お金をくれと言ってみる


振り返ると僕はよく人にお金くれといっていた

もしかすると物乞いの才能があるのかもしれない

人が食べているのを少しだけ食べたくなる

いっぱい頼んでも必ず残す

お金はいくらあってもすぐに無くなる

財布を持つと直ぐに無くす

高価なアクセサリーなどもどこかにいってしまう

プレゼントであろうと魔法のように消えてなくなる


そんな様を見てダメなやつだと言う


今にして思えば盗まれていたのではないか、疲弊していたしヒ素などで意識がもうろうとしていたからなのではないか、と思うようになった


でも一応言ってみる

誰かお金くれ


誰もくれない


みなさんからすると当たり前なのかもしれないけど僕からすると不思議でならない

もちろんこのブログに綴ってることが問題なのかもしれないけどそれにしても誰もくれない

ただの数百円でも


そんな僕を見て乞食だのゼニゲバだの感じるかもしれない

確かにお金くれと言うのはなんだか無作法に感じる


だけれどもよく考えてみてほしい

善意でいただいたお金と労働や搾取でいただいたお金、どちらがきれいなものであるか

僕は間違いなく前者だと思う

そこに悪意が限り無くないからだ


するとこう思うかもしれない

汗水垂らして働いたお金が一番きれいに決まっているだろ!

確かにその人はきれいなのかもしれない

でも違う人もいるし何よりも汗水垂らして働く事が普遍的な善だとは言えない、ほんとは嫌かもしれない

しっかりとした合意の上での物かもしれない

だけれども完全な50/50は滅多にないだろう


労働や搾取は様々な悪を内包している

もしかすると詐欺と何が違うのだろうかとすら思えて来る


寄付はそんなことは考えないでいい

もちろん全くの善かどうかはわからないけど煩悩や涅槃が限り無く存在しにくいことがわかってもらえると思う


そんなことを感じて生きていると人々に思うことがある


お金をくれと言うとなんだか怪訝な顔をする人々

そんな人たちに人生にはお金より大切なものがあると言われたことがある

僕はその人たちを見てこう思ってしまう


こいつはお金だなと


だからそういう人には近づかない


結局は常識や世間的な正当性を盾に是悪を判断するからだ

つまり仲間にはなり得ない


だけどそれが悪いと言いたいわけではない

ただその事から見えてくるものがあるということ


それは洗脳されているかどうかなんだ


北朝鮮で作り笑顔で外国人を迎えている人々を見ると胸が締め付けられて痛々しくて見てられない

同じような見た目で同じ表情

すべてが管理されたまさに家畜

きっと西洋の人から見ると日本人も同じような感じなんだろうなと思う


誰かが指輪を買えば同じようなブランドのを買う

家を買えば買う

髪型を変えれば変える

そんな人々が同じような仕事につき同じ投票をして同じ方向を向いて何かを仰いでいる


僕はその姿をこう感じてしまう


おぞましい


そんな中で何か少し違う感じを入れたりする

家などは買ったことはないんだけど同じファッションだけど何かしらアクセントを加える

するとダサいと言われていたしほんとにダサかったんだろうとも思うけどなぜそう言いたいかがわかった


彼らは共産主義思想だったんだ


もちろん蜂のように一丸となることが必要なときもある

ほんとに全滅させられそうなときや大切な何かを守るために纏まった力が必要なとき


そして今日本人がその時だと思う

いや、ずっとその時だった、必要だった

だけれどもそうさせない力が働いていた

差別をしてはならないと日本人を差別してきた

みんな同じだといいながら自分達は全く違うことを考えていた

日本人を骨抜きにする裏で所詮この世は弱肉強食だと教えていた


目を覚ませ