多様性による価値の創造は一定の文化が必要

多様な価値観による生産性の向上は一定の文化の上に成り立つ


最近の多様性の議論について奇妙に感じていたことがある

このブログでも善や悪について説いていたりするのでその内容は果てしなく究極的な多様性について考えていた

だけどよく考えてみると強い経済力を持つための多様性の確保が新しい産業構造、それはつまりネットの世界をはじめとするソフトな世界での新たな価値となり得るということを念頭に多様性の必要性を解いてきた

つまり個人の自由としての多様性を認めることは人権的に勿論他人に迷惑をかけない範囲で好きにしてもらって良いわけで経済的自由については国家がこれを介入することはある程度は止む負えないが強い経済をもたらすためには多様性を確保しなければならない


これはアメリカでの格差社会等が新たな価値を生む土台になっているという考えだ

反対に中国のような統制された空間では大衆のクリエイティブが下がるという発想が根底にある


しかし新しい価値による新しい経済の創出を目的とした多様性の確保という観点で考えてみると大きな問題点がある

それは貧しい人の作り出すものに比較的魅力的なものはないということ

これはつまり一定程度の教養なり生活環境なりが整わなければターゲット層へ呼び掛けれるほどの何かは生まれないということになる


では新しい経済を産み出すために働きかけるべきターゲット層とはどこだろうか?


それはやはりお金を持っている層ということになる


これはまさに世界でも貯蓄大国の日本ということになる

その中でも貯金はするけど使い方がわからない人々

戦後の日本のために働くことが生き甲斐だと生きてきた人々なのだということになる

つまりおじいちゃんおばあちゃん


しかしこの人たちは遅かれ早かれ死んでいく

そして資本の半分を相続税という形で国に納めることになる

国に納めることになる資本を先に戴いた場合は国益という観点で考えた場合は少し割合が減る

どちらにしろ半分を払うものなのだから先に払ったところでその半分は元々国に還元されるものだからだ

つまり労働の半分が国益にならない半分とも言える

勿論その先に市場に出回った資本は一回しか市場に回らないものではないのだからそう単純な問題ではない

つまるところその資本よりもその資本を先に市場に出回らせ循環させることができる発想にこそ本来の意味で言うところの多様な価値観による国益となる部分があるということになる


簡単に考えるとコンピューターを使った開発によりお金になりそうなものはいくらでもありそうなものだ

それはAIなのか何なのか

何よりも問題は日本の発想全てにおじさんおばさんが采配を振るシステムにある

いくらクリエイティブな人材がいようとも意味がない

投資する先が前時代産業的な発想の元からでしかチョイスできないからだ

完全な盲目で目隠しをしたまま金融緩和でその場をしのいでいるようにしか思えない

勿論企業秘密で開発段階なのかもしれない

現在のような技術革新に溢れた時代ではいくらでも稼ぐことができる


問題はそのお金を出す人がいるのかどうか

その開発に投資できるのかどうか


やはり日本を漂っている閉塞感や何か殻の中からしか見ることのできない文化というものを産み出しているのは昭和教育による弊害であり、出口戦略などといっては見るけれどその実体はどう考えても企業のイノベーション無しには考えることはできないことから考えると早めの人事異動がこれを可能にする


雇用を守るだけの政治的圧力ではなく企業を変えていくための政治的圧力が日本を救うと感じている


つまり多様性はすでに内部にあるということ


こんなことを考え始めたのもある大企業のお偉いさんのこんな頭の悪い一言によるものだ

「プログラマーは日本にはもう十分足りている」

この人は数十年前に大臣だかなんだかがすべての科学的進歩は終わりましたと公言した時と同じ心持ちなのだろう

あんたは全てのイノベーションがもう終わったと思うのか?

俺はこの国が終わったと思った


プログラミングを始めとする機械と人間の融合はまだまだこれからだ

それは情報空間でも現実世界でも

プログラマーはいくらいても問題ではない

この国の問題はプログラミングするものを見つけることのできないバカが権力を握っていることにある


特定の偏った義務教育を施しておいて全く意味のない作業に従事させる政府には不信感しかない


ゆとり世代をリーダーにしてその下に昭和教育をつけるべきだ


なぜならお互いがそのようになるために教育されているのだから