罪を憎んで人を憎まず

罪を憎んで人を憎まずの対義語


僕は自分で本当に天才だと思って生きてきました

母は僕を溺愛して甘やかせて育てたのだと思います

しかし思春期を迎え、ある意味で悪魔的な力を振るうようになります

もちろん母が貧しく低能であったこともありますがどこからどのように言われようとも全てにおいて言い返すことができました

この頃から母は元気がなくなったように思います

それはこの街に引っ越してきたのと同じ時期です


ヒ素の混入や電磁波についてはずっと行われていますがそれでも母を最後まで追い込んだのは僕の言葉遊びだったのです


そして自分が本物のバカであることに気づかされることになるのです


そんな僕が現在も好き勝手に発信しているということについて少し冷静になってみました


実はこの数日、電池切れなのかなんなのか昼の電磁波?というか車に仕掛けられている電磁波といった方がよのかもしれませんがあまり当てられていないので冷静に思考できるようになってきました

この事からも電磁波攻撃が社会悪であるという証明がなされていると思います


しかし電磁波を浴びながらでも発信していることや起きている事象に対して言葉遊びの延長線上で否定や肯定をしていると感じることがあります

それは見ている人々はどんな人なのだろうか?と言うこと


普通のサラリーマンや特に権力を持ち得ない人々であれば良いのですがそれが強い発信力や影響力を行使する人ではないのだろうか?と考えるとある問題に行き着きます


それがポピュリズムです


かの皇帝アドルフヒットラーも元々は唯の無責任な若者です

その存在が何だかんだで公的な人々へ影響力を持つようになり世界は大きな痛みを持つようになりました


しかしここでよく考えてほしいのはなぜそうなるのかと言うことです


これまた差別的な言い方になりますが昭和の歯車教育を受けた人々はいわゆる論理による正当性という洗脳を受けています

まずハッキリと認識しなければならないのはどれだけ理論的に優れていようとも現実世界で今作用させて良いものであるのかどうかは別問題だということ

こういったいわゆる冷静な判断をしなければならない場面で特定の偏った教育を受けた人や特定の遺伝子を持つ人々はやはり興奮してしまいがちだということ


これは不思議なことでも人種差別でも世代間差別でも何でもなくて今の日本を考えるときにしっかりと考えなければならないことです

言ってはならないどころか、言わなかったから!になりかねません


つまり答えを見てそうだそうだ!と感情が動くことがポピュリズムそのものナショナリズムそのもの危険な革命思想そのものだと言えると思います


こんなこというのも僕は自分が天才的だと思っています

それは他の人々に向き合ったときに自分の無力さを痛感することになるいわゆるオナニー状態です

しかしこのオナニーのような自信がまさか間違って本当に何かしらの影響を持つ場合は危険が生じます

通常時であれば問題はありませんが興奮しやすい人が集まったり極端に論理などを信じ込む人々が集まるとこのような現象が起きます


ですので罪を憎んで人を憎まずとは言いますが反対に


徳を愛さず人を愛す、これです


お金ください