橋下徹さんと倉山満さんの皇室議論から見る日本社会の成熟度と懸念



橋下徹さんと倉山満さんの皇室議論から見る日本社会の成熟度と懸念


こちらの記事はとても面白いです

https://president.jp/articles/-/28521


僕は哲学や宗教を通して大局に物事を見るのが好きです

全くお金にならないけど子供の頃から何となく大枠で考えることが自然と身に付いていた

社会を見回すと昭和の義務教育を受けた人々がすごく小さなところで高度な戦いを繰り広げている

ゆとり教育からするとどっちでもいいなと感じたり興味がある議論が行われていたとしてもそもそもどちらも間違いだと言ったことや違う見方をすれば同じことをいっているという事が多い


しかしこの橋本さんと倉山さんの議論は大きな局面を迎えていることを示唆している

それはある種のパラドックスにたどり着いているという事でありこの問題に人類は何度も直面してきた


それが感情と論理の対立だ


本人たちが気がついているのかはわからないがとても面白い現象が起きている

上記の2つは大枠で分けていくとリアリズムとリベラリズムの対立とも表現できる

それは旧約聖書と新約聖書、仏教の空と色、物質と精神と言った分け方でも表現することができる

これらについてはこちら

https://www.doubtfuljournal.com/義務教育は言えないことが多いから日本の権力構造が気になって仕方がない/勝手に分類


橋本さんは関西出身という事も関係していると思うのですが、いわゆる左と言われる人として分類ができると思う

対する倉山さんはバリバリの官僚出身者であり自他ともに認める右と言える


例えば右と聞いたときにどんなものを連想するだろうか?

それはやはり軍国主義やヒトラーを連想し、国家という枠組みで統一された機械的で無機質で極悪非道な任務を遂行するような男性的と表現できるような世界観をイメージすると思う

反対に左と言えばお花畑と揶揄されるようにノルウェーの海賊バイキングに何度攻められても神にお祈りして殺されていたキリスト教徒のように優しさや愛や調和を求める女性的な世界観をイメージすると思う


しかしこの2つのイメージは実際に見ているものと全く違う様相を呈することになる


例えば無機質に命を投げ出し戦うと思われる右と言われる人々は、熱い情動をもち涙なしには語れない多くのドラマを産み出す

その根幹にあるものは家族や仲間を思う気持ちであり命を投げ出すその姿はまるで感情のない操り人形のようだが実際には燃えるような愛や憎しみに満ちている


一方、愛や調和を語る左と言われる人々は普段は優しいがいざとなるとすぐに逃げる

それは悪いものではなく争いを好まない故の適切な判断であり論理的な最適解なのだ

こだわったり執着して戦うことよりも諦めて争わないという無機質な結末を迎える

同時に敵の処分に対して強い残虐性を持つ

つまり勝っているときには非人道的な奴隷化や皆殺しなどを行ってきた


しかし上記のお二人の論争はまさに反対の様相を呈している

左と表現できるであろう橋本さんが人間は感情があるから人間なんだといったような姿勢で、右であるはずの倉山さんはさすが官僚らしい感情のない無機質な論理により議論を展開していた


その是非についてはお二人ともに敬意を評したい

それはお互いが自らの役割を果たしていると感じるからだ

官僚やエリートと言われる人々が感情により是非を判断するようでは国家を運営することはできない

反対に政治家などを経験した民間である橋本さんが感情により議論してくれなければ民衆は国家に首輪をつけられた操り人形のように奴隷化してしまう


この相反する感性がぶつかり合っているということが何だか怖いと感じる人もいるかもしれないがこうして官と民がしっかりと議論ができるということが何よりもの平和の証しだ


しかしこの現象は社会がパラドックスにたどり着いているという事の証明であり日本が成熟社会へ片足を突っ込んでいることを示唆する


認識の夢の中を生きる我々が欲望のままにスリルや興奮を求めポピュリズムに流されていき、たどり着く思想や社会

大衆に訪れる飽きは現実味のない日常を生きているという事であり事実とヴァーチャル(バーチャルの反意語はノミナル、すなわち名目上のと言う意味でノミナルの反対語はリアル、つまりバーチャルとは事実よりより感覚的な本質を表すものらしい)の正しい認識が出来るのであればこの問題(リアリズムとリベラリズム)を正しく認識できる


これから起こる事を日本国民はよく認識しておかなければならない

なぜならそれは大きな変動が起こる前触れとも言えるからだ

数々の歴史を辿れば、こうした対立が起きるということはまだなにも問題が起きていないということだけど二者択一に別れ偏りが止まらなくなったときに極端な決断が起こる可能性があるということになる

その時に僕たちが考えなければならないのはその問題の性質と選んでいる性質が間違えていないかということ


例えば大阪都構想ではどうだろうか?

ヤンチャという表現が適切かどうかはわからないがそんな活気ある大阪の人々がもうなんだか飽き飽きしている

これは世界中で見られる兆候であり大衆はいつの時代も飽きてくると何だかんだと理由をつけ暴れ始める

日本では部落民が差別や弾圧を楽しんでいる

その民衆の鬱憤をうまくコントロールすることが統治するということだ


そんな時にでてきたのが大阪都構想

何だかとても面白そう


官僚は言う

あんなもん損だ、マイナスだ、上手く行く確率が低い


しかし考えなければならないのはなにもしないところになにも生まれないと言うこと

徳川幕府の参勤交代は全く意味がなく損だと言われているが民衆への経済効果ははかり知れず江戸時代が豊かであった大きな一因だという認識を持つべきだ

もちろんダメになるかもしれないけどここで背中を押して大阪の人々が活気に溢れ、活発になり一丸となっていわゆる村起こしをした場合、卓上の計算では算出できないエネルギーを産み出すことになる


もしかするとその勢いは留まることを知らず、長らく続いた腐敗に嫌気を指していた大阪の人々が不正を許さず支え合い互いに協力し大阪のために活動するという形を実現できたなら

二十年、もしかすると十年もすれば海外からの観光客だけでなく日本中から大阪に人が集まり東京に匹敵するほどの経済圏を確立するかもしれない


カジノの誘致や大阪万博

何だか不信感の漂う東京オリンピックの後に様々なイベントが大阪を待っている

発展途上国が急激に経済成長するように、イベント事や新興経済に息を吹き込み、計算や過去のデータだけでは算出できない利益や幸福や善いとされるものを呼び込むのは紛れもなく大阪の人々の気持ちなのだ


済州島民や部落民がアイデンティティを感じている世界最強とさえいわれる元という国は死への恐怖というスピリチュアルな原因で滅んだ


我思う故に我あり


本当のリアルを体感し表現する事ができるものだけがこれからの時代に発言力を持つことになると感じている


もしかすると令和という時代を引っ張っていくのは東京ではなく西都大阪なのかもしれない


日本に奇跡を起こしてくれ、大阪


出来ていませんが東京は論理で運営しましょう