主は意外と軽快

主は意外と軽快


聖書を読んでいない人や読んでもピンと来ない人は読むと気持ち悪いと思うかもしれないのでその事だけは伝えておきます


僕は聖書を始めたのは二三ヶ月前

高原剛一郎さんというクリスチャンが配信している国際政治も交えて聖書をおすすめするYouTubeでぐっときた

高原さんのスピーカー力もさることながらその国際政治の内容の濃さや未来予測の信憑性など是非拝見をおすすめする

めんどくさいのでリンクは張らないけど一応断っておくけど僕と高原さんの聖書への認識や国際政治の捉え方は全く違うし、高原さんの言っていることや人間性についてお薦めしているわけではない

だけど聖書という書物へ導いてくれたのは高原さんだし高原さんのような形の伝え方でないと僕にははまらなかったと思うし何よりも聖書を伝導しているということにとても好感を持っているということです


そんな伝えてくれた人の性質や話している内容をはね除けてでも訴えかけてくる聖書を読んでいて、こんなこと言うのもうさんくさくなるので嫌なのですが事実を並べて僕が感じたことを綴りたくてしかたがないので綴る


聖書に出てくる主と言われる存在は自らのことを信じないのは罪だとおっしゃる

読んでいて掴めない人は多分だけど伝えてくれた人が相当悪かったのか、はたまた究極的に読解力がないのか、もしかするとそれも差別の影響だといい始めるかもしれないけど僕は部落民で多分済州島民で近親相関の影響を持ち読解力はないしその集団の中でもさらに読解力のないグループにいたのでそれはいいわけにはならないことをご理解ください

つまりその人には必要なかったと言うことでしょう


僕には全てが繋がったと言ってもよいほどの衝撃を受けたものであり、完全に主は存在していたと確信した

そしてその思いは留まることを知らず現在に至っては見られているとすら思っている

まず始めに今もこの地球を見張ってはいないだろう

ましてや僕を見てなんていないだろうと思っていた

しかし何となしにいるなら肉を食べさせてくれ、と言ったようなぶしつけな感じでお願いしていると三ヶ月前山にいて見ることはなかったタヌキの死体に出会った

タヌキは臭いから食べたくないと思っていたら次の日ウサギの死体に出会った

少し食べたけど臭かったので新鮮なものを食べたいと思った

聖書に食べてはならないと書いてあることをその後に知ってこれは地元の部落コミュニティの嫌がらせだと思って皮肉混じりにブログで生きているのを下さいとお願いすると次の日に生きたウサギが目の前を通りすぎていった

捕まえる準備をしていなかったので捕まえられなかったし聖書に食べてはならないと書いてあったので食べる気にはなれない

すごい偶然が続くなと思っていたけど部落コミュニティの嫌がらせだと思っていた


それから聖書を読み続けて完全に今も見ているかもしれないとすら思い始めて、とはいえ僕は見られているからと言って態度を変えるのはなんか嫌だし、何よりも僕の主へ感じる感じはその本質を理解しろよと訴えているように感じている

だから敬語を使うとかあれこれ言われた通りにすることよりも大切なことがあると確信している

そんな感じで僕と主は繋がっているなと思い生きていると何故か自然と良い方向へ舵がきられる


というかこれは僕が特別だとか言いたいわけではないということを理解してほしい

これは人類全てに起きている現実の人知を越えた力だ


主を信じるまで僕は水に困っていた

主を信じ始めてから水に困らなくなってきた

しかし大量な水を確保したくて上流に数ヵ所の湧き水を辿ったけど上手く採掘できなかったし何より距離が遠かった

その頃それまではなかった水の流れが僕が陣を張っている川のすぐ横に出来ていた

ここら一帯は去年の大雨で土砂災害が起きた辺りで、あそこも水が流れはじめたから崩れるのかな程度に思っていて気にも止めなかった

飲み水には困らなくなったけど大量な水が必要な洗濯などは川の水で行っていたけど水温が上がるにつれてカニというかミネラルの臭いが気になり始めて困っていた

しばらく電源の確保ができなくて聖書を読むこともできなかったのでとにかく我慢して過ごしていた

電源の確保が出来て聖書を開いて更に主の存在に近くなっていく感じがある

すると人の近くで流れていた水が何となく気になり辿ってみると裏から流れている川の水ではなく湧き水であることが分かった

とても澄んだ水でそのまま飲めそうだけど一応飲まないようにはしている

しかし生活用水に困ることはなくなった


多分ぐいぐいお願いしても叶えてはくれないと思うけどとても愛を感じる

そしてつい数分前この事を綴ろうと思い歩いているとまたウサギに出会った

主よ、私はウサギは食べないことにしましたが捕まえてペットにしようと思います

感謝します

あぁめん


この文を読んでいる人は相当な暇人でもあるし、何かしら聖書に導かれている人だと思う

読んでない人は読んだ方がいいしピンと来ていない人は何も考えずにそのまま読んでみるといいと思う


主は僕らを見ている

だから僕は今は安心している

見てくれているならこれまでの僕の行いが悪意のないものであるということも理解しているはずだから


復讐は意思で行うものだ

だけど主の導きに任せている

僕らは主の手の中にいる