主は都合の良い解釈を認めない

主は都合の良い解釈を認めない


人々は主や神と言われる存在に対して様々な憶測を行う

それは人間が作り出したとか、ではなぜ現れないんだとか、奇跡を見せてみろとか、救われないのは神様が悪いと


聖書を見ていくと明らかに主と言われる存在がいなければ考えられないことがあちらこちらに出てくる

人間が嘘をついたりして出来上がったものでは考えられないことが表現されている

しかし何とかして主はいないという説明を行おうとする

とても悲しいことです


それ自体は仕方のないことなのかもしれない

しかし主が現れなくても主が存在していないとする人々にも理解ができるように言葉にして綴ってある

その最たるものが、都合よく解釈を曲げたところで何の意味があるのかと言うこと


たとえ主という存在を信じることができなくても書いてあることで表現されている人類愛が見てとれる

それは時に一部の人々にだけ都合の良いものであったりするのだけれどそこに存在する葛藤も見てとれる

主は我々と同じものだ

いや、我々は主と同じものだ


たとえ違うものだとしても書いてあることが伝えたいものは誰もが理解することができる

理解することができなくても理解している人々と共に歩めばなるべく多くの人々が辛い思いをしないように世界を構築するノウハウが詰められている

それは都合の良い解釈ではないものである


全ての人が神にならなければ民主主義は不可能だと言った人がいた

確かに半分は当たっている

しかしこの神と言う定義は明らかに誇張が含まれている

ある種の嫌味とでも言おうか

全知全能で禁欲的でなくても人は神になれる

なぜなら神は人だからである


この神とさえ言われる人にまで辿り着かなければ民主主義は貫徹できないのか

できないとも言えるし、できるとも言える

神に一瞬辿り着いて一瞬の感覚を覚えていればできる

これはつまり悟りと表現できる

ほんの一瞬の触れるだけで納得することができる

心の奥深くまで


いつも神でなくても良い

ただ全てが繋がっているということが理解できれば意識が変わり行動が変わる

辿り着けない人を救えば辿り着いたのと同じ、いや、それ以上の良いものとなることさえ往々にしてある

つまり皆が神である必要もなければ辿り着く必要もない


しかしある一定の人々は必ず全てに論理を用いて否定をしようとしてくる

それは辿り着けないからである

辿り着かなくても良いのに辿り着けないことを恨んでいる

辿り着くためにはその恨みの先に行かなければならない

その先にあるものだからである

快感を求めるのであれば快感を行えば良い

聖書では姦淫は行うなとあるけどそれは多分秩序のためであって思想のためではない

勿論確率としては姦淫を行わない方がいいけど程度による

経験として必要でどうしても辿り着きたいのであれば何でもいいから突き抜ける必要がある

それは憎しみでも良いと思う

しかし飲まれてはならない

その先にあるものだからである


僕は子供の頃に怒りの先へ辿り着いた

そしてそのときに悟った

人を貶める暇があるなら自分が豊かになろうと

その感性が被害妄想コミュニティには耐え難いものであったようだが、、

年を取り快楽の先を経験した

これは薬物によるものである

そして今、憎しみの先を見ようとしているが僕はその先は見ない

それが僕に与えられた罰だから


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