個性が才能

出会いや機会に絶対的な差がある

これまでの人類史はまさにこういった差別との戦いであり、あなたがもしもわが子を大切におもったり、大切な人が傷ついたときに胸が締め付けられるような感覚があるならば世界平和という理想を掲げる想いを失ってはいけません。

保守だからこそ

人間は生まれながらに保守的であるがゆえに大切なものを守るため、自らを疑うことを決して忘れてはならず、進歩と自由を目指すため、多様性を求め信じることを疑わず、世界を創造しなければなりません。

疑いの余地がありすぎる人間社会ではどうしても石橋を叩くように少しづつゆっくり確認しながらでしか安全に改革はできません。

ワールドオブピース

この緩やかな波に全ての人が満遍なく触れられるようにする為には本来なれば先進国はまだまだ貧しい生活をするべきであり、戦後のアメリカ市場主義の効用の最大化を図った一般的な中流階級を羨望の対象とすることによりインセンティブを与えられた日本の高度経済成長期のように2018年セレブへの羨望が必要のようで、これが現代の拝金主義、民衆の保守思想、減税推進、好景気を望む我々日本人の姿です。

施しの報い

とはいえこれまで飢餓や難病に苦しむ諸国を助けようと理想を掲げ活動していましたがそう簡単に文化や教養、民度の差は埋めることはできず、必要悪と称し内乱の火に油を注ぐようなことになっている可能性を否定することはできず、今後数十年間は世界各国の保守への流れを民衆の心に残したまま片手間の世界平和を実行していくのでしょう。

救世主の卵は新たな価値観

待望のAI技術により人為的差別問題(ついつい自分たちを優先してしまう性)は解決されると考えられますが不条理な以て生まれた才能としての格差はさらに表面化されます。

だから私たちが心しなければならないのは優劣を決めるのは個人の勝手な価値観であり、劣っていると見えるものもそれだけだとは言い切れないことを理解することであると思います。

言い換えれば褒めあうことができるのと同じようにお互い楽しみながら馬鹿にしたりされたりすることが出来るようにならなければならないと言うことであり、その両方が出来、認め合うことが出来ることで共存の道が開かれるのです。

だからこそ被害感情を教育することが間違いだということなのです。

悪いと見えるものもその限りではなく被害者意識を持つ必要などありませんが基本的に昭和教育の人間には一つの価値の元、競争することを推奨されてきたのでこれを鵜呑みにすることができません。

才能の持ち主

そして何よりも特筆したいのはそんな個人の価値観の時代では才能に上下がなく、あるのは特性や、していることに対し興味を持つ人間にどれだけ出会うかということです。

つまり誰もが才能の持ち主であり熱中する何かがあるのであればそれは出会いにより価値を帯びるということでこういった考えはもう駄目なのではないかと日本では均一化ムード満載だがどちらにせよ二つに一つです。

したいことをせずに奴隷(社会貢献)になるかしたいことをして奴隷になるか、一番推奨しているのはしばらくは奴隷をしながらしたいことをすること

被害

被害者意識教育の一番の被害者は教育を受けた本人であり教育した社会ということを理解し、その上でこれからの日本を背負うべき国民を教育し、日本の為だけではなく存在自体が世に光を照らすことが出来る存在を教育していく仕組みを作ることが人類に持たされた破滅を遠ざける唯一の手段です。

被害感情を煽れるなら逆もまたしかりです。

変化

産業構造の変化に伴い必要な能力が劇的に変化しました。

今まで我々が学んできたことの多くが無駄なもので足枷とさえなっています。

これではまずいとゆとり教育を止めたり少し取り入れたりしていますが無駄に動く前に私の話を聞いてください。

何も考えずに同じことを早く精密にする能力は不必要ではありませんが万能ではなくなりました。

現在は感情のうねりに気付き具現化し表現することで新たな価値の創造をすることが必要となります

そしてこういった価値を創造することに長けている人種が日本には存在します。

感性豊かで時に被害妄想が激しく、時にやたら正義感が強く、時に繊細で、つまり情動が激しい人たちです。

例えば近親相姦を繰り返してきた民族の子孫などはまさにこのタイプで投資するだけの価値があるのはこういった人たちですが気をつけるべき点があります。

それは継続や具現化するだけの精神性が育っていない可能性が高いということです。

この特性はまさに子供そのもので飽きっぽく惚れやすく、しかし思わぬ価値観を表現してくれます。日本ではこういった直情的な人を馬鹿と呼び、世界では往々にしてリーダーと呼びます。

こういった才能に目を向けずに今だ国民を歯車化しようという背景にあるのはなんなのでしょうか?

その答えは教育制度にありますが読み進めることで理解して頂けると考えております。

ですので歯車教育を受けた人たちがちゃんと活躍できる産業を作るためにも、心情的に穏やかではないとは思いますがアダルトチルドレンたちに資金を投入し道徳教育と同時に発想を具現化できる技術や組織を国家が提供することで推進力や発想を拾い上げ歯車たちが支えると言う適材適所の政策になりえるのではないでしょうか?

これは同時に犯罪率を著しく低下させることにもなります。

そもそも日本では古くから法の隙間を生き、何とか食いつないでいる人々が新しい産業を作り出してきた

そこを国が取り締まり、ルールを作り税金を取ってきた

日本は本来あるべき姿に戻るべきだ

善も悪も存在する現実を受け止めるべきだ