不良と聖書

なぜ不良と言われる人々が聖書を読まないのか


多くの不良と言われる人々は文字と離れた感性により正当性を認識しています

しかしその中にどっぷり浸かって文字という文化の中に足を踏み入れ様々な書物を読んでいると認識できることがあります


多くのこの社会悪とされている人々は貧しさや偏った家庭環境の中で生活しています

しかしその根源を辿るとある問題に行き着きます

それは遺伝的特性です


これらについてはこちら


https://www.doubtfuljournal.com/philosophy/根っからの悪の権利


もちろん彼らだけが正しいわけではありませんし、然るべき差別や区分けが必要不可欠だと言うことです


しかしそんな彼らと過ごしていると大切なことに気づかされます

それはなぜ彼らは聖書を読まないのかと言うことです


これは突き詰めれば表現が全く違うものだと理解しているということにたどり着くのです

なんだかわからないけど違うと感じる

言葉にはできないけどそれが大切なものだとは思えない

その根幹に作用しているのは読んでいる人々を良いものだ、自分もなりたい、その道が正しい、とは思えないからなのです


そしてお互い相容れない感性を持ったもの同士がまた争います

こっちが正しい

正義だ

必要悪だと、、、


しかし実際にはどちらも正義でどちらも悪なのです

つまり弾圧や分断では問題解決にはならないのです


しかし彼らは放っておけば反旗を翻し独裁や虐殺を正当化しようとし始めます

しかしそんな彼らには大きな落とし穴があります

それは内政がうまく行かないと言うこと


この事については歴史からも明らかですし、なによりもその性質そのものがそのようにできています

まめな作業や地道な作業を行うことができません

中にはどちらも出来る人もいるみたいですが多くはそのようにできているのです

それは差別だとか言ったものではなく性質なのです

ここでハッキリとしておかなければならないのは子供も確実にそうなるかどうかはわからないと言うこと

確率的に多い場合はあると言えますが偶発性も含む違う可能性や教育による後発的性質の変化など様々なことが考えられます


しかしそんな彼らでなければできないことやそんな彼らだからこそ向いている状態があります

それが戦いです

それは対外的な場面というのが正しいと思いますがその外と言う概念には様々な形があります

チーム

組織

家族

国家

etc

つまり競争を含む場面での活動です


しかし競争などに必ず起きてしまう不穏な活動

それは正しさや正当性を無視して行う活動と言えば理解していただけると思います

その活動をどのように制御するのかが大きな問題ですがここに日本が抱える根本的な問題があると思います


それは秘密保持に関してです


これに関してはこちらの下半分の文章 後述以下


https://doubtfuljournal.hateblo.jp/entry/2019/04/04/091528


脳みそが疲れました


つまり適材適所なのです