武田先生ごめんなさい

武田先生ごめんなさい


虎ノ門ニュースを見ていてドイツ銀行のニュースがありました

その時の先生の不服そうな感じを見てもしかして僕が傷つけてしまったのではないかと感じてしまいましたのでそうであるならば、ぼくのいいわけを聞いてください


あの日の僕はとても幸せでした

先生が試してきたのだと感じて遊んでもらっているかのようでした

リーマンショックについて持っていた知識と武田先生の主張との剥離にそうか、カジノマフィア勢力ということになるから金融ではやはり情報操作によりみんなで稼ぐような仕組みがあるのも知れない、とか思いつつほんとに僕を鍛えるためなのかもしれないとかワクワクしてしまいました

ですので張り切ってドイツ銀行について調べること30分

僕なりの結論を出したつもりです

興奮冷めやらぬ僕は、山の中で隠れて生活しており、月末ということもあり、空腹の中でいつもは飲まないコーヒーを飲みました


そんな興奮した僕はやはり近親相関の影響なのか、朝鮮半島の血が災いしたのか、人を思いやる余裕の無いほどにハイになり執筆しました

いつもは1つ二つの記事なのにその日は五記事でも冷めやらぬほどの興奮具合です

そしてもしかすると武田先生を傷つけるようなことを綴ってしまったのではないかと後悔しています

これは上念司さんのハイテンションと同じ現象です


ただ1つご理解いただきたいことがあります


このハイテンションがこれからの日本において人的資源から来る大きな国益となるということを

もちろんその影で傷ついてしまう人もいるかもしれません

しかし何よりも日本が乗り越えなければならないのはその被害的な感情なのだと考えています

僕はいつも歯車だなんだと言っていますがその人たちの思考原理は正解が正しいということです


その事が間違いだとは思いませんがこういう考えはどうでしょうか?

この世に普遍的な価値がない以上、僕にとっての間違いが他の人にとっては正解であり、僕にとっての正解が他の人にとっても正解だとか、つまり正解はそのあとについて来るものだということです

この問題が示唆することは人間万事さいおうが馬

感じがわかりませんでしたし中国の諺ですのでお気に召さないかもしれませんが伝えたいことは伝わると思います


ですので例え間違いだとしても何も恥じることもなければ気後れすることもない

へー、間違えた、次の問題

といったような感覚が日本には必要なのだと思います

それは苦しくも左と標榜する被害感情を求心力に変えている人々に対し僕がいつもおかしいと表現しているものでもあります

つまり右左に関わらずやはりこの戦後の日本が培ってしまった何かが知らず知らずに日本をおとしめてしまっていると思えてならないのです


しかしこの現象により僕はすごく良いものを見た気がしました

それはいつもは先生を茶化してイライラさせちゃう須田さんのありがたさ、武田邦彦先生という存在がいつもとは違う面の時にはフォローに回る存在であるというまさに多様な感性が産み出す良いものの一端を発見できたように感じました

その須田さんの根幹にある感情はもしかすると同情なのかもしれませんし本心はわかりません

しかし画面を通じて感じたこの暖かさは紛れもないもので、そのある種の非日常にこそいつも同じ時間を過ごす当たり前の触れ合いにより良い価値を見いだすことが出来ることの証明だと思います


それこそがまさに多様性を持ち得た日本が日本足る日本らしい村社会や長屋文化で培われた光景だと思います


良いものが見れました


傷つけてしまっていたら謝ります

ごめんなさい


まぁ、ただの独り言ですけど


このブログに新しく来た人にこのブログの元々の題名を覚えておいてほしいと思います


勝手に会話です