特権による盲目と優越

※すべての人ではありません

※差別的表現を含みますのでご理解のうえお読みください

国連で部落民や在日への差別が取りざたされ、日本が非難されていました

著者は不思議に思います

部落民や在日は差別をしている人たちのことだからです

司法、立法、行政、メディア、宗教、経済界、裏社会、世界にも手を広げどこにでも存在し強い影響力を持ちます。皇室に取り入り、人権に付随する絶対的正当性と権威主義的文化による統率力、結束力により他を寄せ付けない圧倒的強さで高度経済成長期を謳歌しました。

これが部落や在日へのイメージです。

もちろん過去に差別されていたということは存じておりますが現在では考えられません。

なぜなら日本でその存在は口にすることも許されないほどに恐れられているからです。

こういった民族的求心力を利用した組織は日本だけでなく海外にも多く存在します。

それらの多くは宗教や慈善事業や自然愛護など羊の皮を被ることで権力の介在を逃れています。

人間には根源的に自分に近い存在に愛着感を持ち優越する機能が備わっています。

時の権力者は往々にしてこれらを利用してきました。

ナチスも英米もユダヤも、、、アジアや白人といった大きな枠組みでこれを行使することもあります。

こういった権力の動きと作り出す盲目を表面化させてみたいと思います。


権力を維持するためには特権を与える必要があります。

例えば一番上の発言権を持つ人が命令を出したとしても役割ごとに細分化する必要があります

であるから役割ごとに権力を与えます。

それが階層となり組織を維持します。

その時にここまでは話せるがこれ以上は秘密というように情報統制が行なわれます。

そしてこのなくてはならない秘密を多く持つに至るのが諜報活動やスパイ活動と言えます。

これが権力間で行なわれ民族的優越を行使されると恐ろしいことが起きます。

軍の情報を民間に流したり行政しか扱えない個人情報を裏社会に流したりすることが起きてしまいます。

これらは現在の日本でも起きています。


つまり民族意識というものは職業や友達といった枠組みよりもなによりも優越的に働くことがあるのです。

なので権力者は仲間意識の強いグループよりも同じ民族を集める方が効率がいいということになります。

しかし同時にこれは時限爆弾でもあります。


その強過ぎる求心力は盲目を作り出します。

当り前に民族的優越が反映された文化を形成し数世代、時には現世代であっても差別していることがわからなくなるのです。

なぜなら人間には自分に関係のあるものしか認識できないからだと言えます。文化の中で当り前に行使している権力がどのように社会に影響を与えているのか正確に分析できなくなります。

たとえば国家という枠組みで見たときにこの政策であればGDPが上がるな、と考えますがどの民族がとは考えません。はじめは納得できた差別的優越も時を経れば考え直さなければならないということに帰結し、元々優越的差別していたのだから元に戻すための差別が必要になるということなのですがそんなことはしようとは考えません。

それどころか自分に関係がないから気付くことはないと言えます。

なのではじめに設定した少しの優越が時を超え大きな民族的分断や内部への不信感として残ります。気付いたとしても見てみぬフリもするし、最初から民族にとって有利な政策を実行することは人間にとって自然な優越です。

これは人間であれば当然の反応であり、他人の子よりも我が子を優越するのと同じことなのです。

しかし国家権力に携わる人間がこれを行使してはなりません。

公務員の適正に欠けていると言わざる終えないし単純に犯罪とも言えます。

この点を早く是正しないと特権を行使し私服を肥やす性質が人間に備わってしまっている生理的反応だとタカをくくってしまっては、盲目ゆえに巨悪の存在や内部の不信感に眼を向けることや民族的分断による差別、溜まった鬱憤のエネルギー源になってしまうことは自然なことです。

国家権力は日本のために機能するべきであり民族的優越を反映したならその後の経過や影響をしっかりと観察する責任があります。


そしてこれらの不満は混乱期に表面化を始めます。

世界恐慌時のナチスによるユダヤ人虐殺や19世紀初頭の産業革命時の格差社会での黒人奴隷の反乱、小さいものを上げればきりがありませんが当り前に起きることです。

現在日本で起きている右傾化も混乱の始まりと言えます。

資本主義がR>Gである以上、避けることはできないのです。

これまでは奴隷や少数のお金持ちに対しての不満の爆発でしたが大きな力を持つもの同士の対立の場合は大きな被害が予想されます。辛い現実や都合の悪い事実から目をそらし、希望的観測で物事を進めたり、この程度で納得するだろうといったような見下したような感覚に訴えかけるものがある政策ではいちまつの不安を覚えます。

シビリアンたちが大衆の絶望を認識し、自らが身を切るような覚悟を持たなければ正しい情報認識、分析はできず、グローバル化の中で非難が集まるのは裕福なものであり、それは国際社会に取り残されつつある日本であると言えるのではないでしょうか?