道徳

「日本は売国奴で溢れている」対米従属と化した日本の“あるべき国防のかたち”とは【宮台真司氏インタビュー 未公開部分込フルバージョン】を見て

※すべての人ではありません

※差別的表現を含みますのでご理解のうえお読みください

宮台真司先生はおっしゃっていた。学校教育で道徳を教えてしまったら点を稼ぐ為の良心、つまり偽善を教えることになり道徳で教えたいことと真逆のことを教えることになるではないか!ということらしいのですが多分いつもの先生の罠です。

右には右を左には左を


なので考えてみます。

道徳とはなんだろうか。

良心とはなんだろうか。


道徳とは道と徳、道とは通る所で徳とは品性、恩恵のようです。

つまり品性の恩恵の通る所と言えるでしょう。

又は通る所に品性や恩恵があるとも言えるでしょう。


品性とは何か、

道徳的規準から見た性質、人格、。

つまり善悪や良し悪しの概念はここにはありません。


恩恵とは何か、

恵み、利益、好ましい結果、。

つまり損得です。


ということは道徳とは好ましい結果の人格の通る所、恵みや利益や好ましい結果の通る所的基準から見た性質ということになります


良心とは良い心、心とは感情であり感情は生態にある生理的反応を脳が感じたことやその反応と言えると思います。

良いとは良し悪しの悪くない方です。


つまりどちらも良し悪しが関係しています

なのでそもそも道徳や良心というものは点を稼ぐものなのです


それでは道徳は教えても良いのでしょうか、なにかが違う気がします。

宮台先生がおっしゃる意味は理解できます、

学校でよい成績をとるために良いことをするということは本末転倒のように思えます。良いことを評価されるために行なうのでは見てないところで評価の対象にならなければよい行いをすることをまるで損したように感じてしまいます。


だがこういう考えはどうでしょうか。

よい行いというのは人が得をする行いということです。道徳は利益の道だということを思い出してください。つまり損をさせない行いであれば自分が得するのは良いことだといえます。

しかし道徳的とは言いがたいでしょう。

自分が得をしないけど誰かの利益のためにする行い、これが道徳的行いといえそうです。

では誰も見ていない場面で自分には得はないけど人が得をする場面と、自分も得をして人も得をする場面を思い描いてください。

どちらが道徳的でしょうか、、、

何故か不思議と自分は得をしないほうが道徳的に見えてきませんか?

つまり道徳的というものは自己犠牲の精神、つまり愛を内包しているのです。

しかし社会にでて現実の場面で道徳的だからと自分は幸せにならないようにするというようなことが行なわれてよいのでしょうか。そもそも道徳的でなくても皆が得をすることが良いということを考えるべきではないでしょうか。


そして何よりもここからは少し込み入った考えになるのですが誰も見ていないからということで他の利益よりも自分の利益を優先するとある問題に直面します。

それは実は自分が見ているということです。

自分が見ているのは関係ないと思うかもしれませんがこれは人生の大きな分かれ道となります。

うそつきは泥棒の始まりと昔の人は言います

まさにその通りだと考えていまして自分に嘘をつくことで誤魔化す様になったり問題に正面から向き合うことをしなくなる場合があります

いいわけがましくなりついには自分を信じることができなくなります

これらは罪悪感が成すことなのです


そしてもっと大きな問題がこの世界を支配しています

それは輪廻と呼ばれるもので人によい行いをしている人は人に助けてもらえます

人に悪いことをする人は人が敵となります

そしてなによりそれは人が見ていなくても人格に現れるのです

誰も見ていないようで自分が見ています


もうおわかり頂けたでしょう

道徳とは得をする生き方を教えるということなのです

つまり道徳とはそういうことです


なので教えるべきです


教える内容によりますが簡単に説明するとそんなところです


宮台先生の懸念を考えても成績に反映しなければ何の問題もないのではないでしょうか

つまり得点を付けないのです

善悪両面を教えます

物事には全てに表裏があります

その上で教えるべきことは責任です

誰かを助ければ誰かを泣かす結果になるかもしれません

たとえそうだとしても選ばなければならないときがあるという現実を教えます

それも大切な道徳だと思います


そしてなによりも教えるべきことはすべての価値は人それぞれ微妙に違ったりするということです

良いと思った行いが人を傷つけ追い込んだり、人を傷つけてしまうようなことが誰かのためになったりします

そういった現実を教え、全ての行動に思考と責任を持たせることが何よりも教えるべきことなんだと考えております


後は好きなことをすれば良いのです

愛情を受けて育てば自然と人のためになることをしたくなるものです

それ自体が喜びとなりえるからです


だから人間間に限らず国際間であってもこれは痛いよね、こうされるとうれしいよねというような共通認識を形成する、つまり文化交流することが何よりも大切で、現在問題となっている格差社会においても同じことが言えます。貧しい人と豊かな人の共通認識が出来るよう国家が勤めなければ生活水準の格差だけでなく共通認識が薄れポピュリズムに流され国体は破壊されます

なのでこういった道徳的、社会的、宗教的、政治的、などの枠組みを超えた観点から高い視座を持って問題を論理的にしっかりと教えるべきです

でなければ日本に存在する先祖の恨みを現世に持ち込み民族的復讐をする人々や被害感情を求心力として悪用する組織の餌食になってしまいます。それがおかしいということが学校で教えられれば洗脳されずに済む人々が増え、悪しき求心力が薄れ国政も正常になるのではないかと思いますが内部で工作員とも言える日教組が主導し日本国民を奴隷にするため洗脳しているといえます(動機は不明です)

そしてなにより道徳などが狭義にたどり着くとき生活環境が悪ければそれは教えられた個人にとって重い足枷となるということにも気を配らなければなりません


やはり道徳を教えて良い人間を造ることを考えることよりも社会がしっかりと子供たちを愛し育める環境を作ることのほうが大切に思えてならないということで、どちらにせよ宮台真司先生と同じ結論に至るといえるのかもしれません