罪と罰とエフィカシー 善人に休息はいらない

2018/12

エフィカシーと罰


嘘つきは泥棒の始まりとは昔の人はうまく言ったもので、嘘をつくことはたいした罪ではないように感じますがその自分への小さな裏切りがその人を泥棒やさらには罪の無い無関係の人々まで巻き込む、いわば自己愛性人格障害による責任転換により無差別大量殺人などを引き起こしてしまうことになるきっかけとなります

もちろんそのように誘導している悪しき存在による影響ということもできますし、数世代による民族的復讐の影響や国権に強い影響力を持つコミュニティによる活動の副作用ということも確認できます

ただしそれは生まれ持った個人に責任がないということと歴史的背景やその個人への差別的迫害が起きてしまうということは分けて考えることも必要です

というのも正義や責任問題で語るのではなく、この世の普遍的な輪廻として民族的復讐心などが起きてしまうことは人間の特性上、又は自然の摂理として仕方の無いものだからです

その仕方の無い反応、つまり起きてしまった出来事に対する反応や副作用というものが世界や人類、そして個人に降り掛かることを古来から人々は認識してきました

その影響をうまく言い表したものが、嘘つきは泥棒の始まりと言う諺と言え、仏教で縁起と表現されているものの一面だと思います


それでは罪というものは人にどのように降りかかるのでしょうか

例えば誰かを裏切った人や騙した人、さらには死へ追い込んでしまった人、権力構造を歪めて不適正なものを適正だと言い張り遠回しな殺人などを行ってしまう人々には何が起きるのでしょうか

もちろん遺伝的にも関係してきますし、社会的にもコミュニティ的にもお返しが来てしまいます

個人で言えば罪を犯した人は自分に自信が持てなくなり、物事をうまく運ぶことができなくなるでしょう

つまりエフィカシーが下がります

しかし宗教などに洗脳された人々のエフィカシーは下がりません

何故ならそれは正しい行いだと信じているからです。むしろあがる人の方が多いのではないでしょうか?

つまり洗脳された悪しき人々が正義だと不適正な活動を行っている場合は本当に正しき行い(冷静な人、理性的な人)をしている人々は分の悪い戦いを挑まなければなりません。何故なら、どんな行いにも善悪両面が存在し、洗脳されていない聡明な人々は行いたくのない痛みや辛さを受け止めながら戦うことになるからです

敵は洗脳された、よい気持ちで正しいと思っている気持ちの良いことを行っているいわばオナニー集団ですのでエフィカシーが異様に高いです

なので分が悪いと言えます

しかしその敵は同時にいずれ生まれる盲目を覚悟しなければならず、栄えはしますが早々に衰退します

とはいえそれまでに伴う痛みは絶望的なものとなります

狂っているのですから、、、


こうして自然はバランスを保っている、輪廻が存在すると言えるでしょう


だから憎悪や復讐、興奮や覚醒、煩悩や涅槃と言われる悩みや正当な辛さや快楽を味わっている人々に私はこう言わせていただきたいと思います


ゴールは今も存在しています


問題と紳士に向き合う賢者であるということは蛇の道に足を踏み入れていないか、覚醒剤のように抜けられない煩悩や涅槃の渦に巻き込まれていないか、つまり人であるということを忘れてはならないということなのです

私の母は高い教育や豊かな生活とは無縁で迫害や差別のなかを生き、そして死んでいきました

ガンの痛みを無くすためモルヒネを打ち死の床でガンバレガンバレと呟きながら死んでいった母に対し「わかっていない面があるな」とは思いますが生前母は口が酸っぱくなるほどこう言っていました

普通が一番


とはいえ最前線で戦う必要がある時代もありますし、ただただ普通を目指していてはつまらないのでそれなりに快楽や興奮が欲しいところです

普通でいてはバランスが崩れ煩悩的な存在が蔓延ることもエフィカシーの性質から普遍の原理と言えるのですから理性的な人々が涅槃的で愛や喜びに満ちた反対に狂ったと言えるような活動をしなければ煩悩的で本能的で野蛮な人々が栄えてしまうと言えそうです


ですので私は普通にしていながら正しき人々が涅槃や煩悩の渦に巻き込まれたときにスコトーマの存在に気付ける精神の灯台のようなそんな存在になりたい、そう考えこのブログを立ち上げました

これはなにも称賛されるものではなく、私の犯した罪への罰なのです

本当は最前線で光輝き戦う英雄になりたかったのですが、私の犯した罪はこうした罰を用意していたようですし、まさにその煩悩的な復讐心などに身を焦がしてしまう人々に対し、自らが行動により知らしめなければならないと感じています

見た目や貧しさや自分に降りかかったどうしようもない不利なもの、つまり生まれ持った運の悪さと思っているものや差別のせいで自分に降りかかった災いすらも、かけがえのない生であると言うことを、、、

勿論気変りすることもあるでしょうが今はまだ闇の中にいるべきなのだと罰が言っています

数々の理論を展開されている私を導き精神的負担を大きく和らげて下さった先生方には誠に感謝しております

しかしながら私の存在により被害に会われた方の存在やその出来事により罪を犯している人々や、まさに罪を犯し罰により無気力に襲われて動けない自分、そして電磁波から逃げることが最優先と感じている今、それなりに充実した日々を過ごしています

勿論社会的に損なんだということは理解できますが同時にこの訴えはこの国の根幹に関わる問題でさらにはこういった出来事の生み出す輪廻を多くの人々が認識するきっかけになればと考えています


そして今日綴りたいのはm1グランプリについてで、きっと関係者の方々は若者の優勝に水を指したくないのでしょうし、視聴者心理やさらには政治的背景、ゆとり教育や若者の労働インセンティブを上げるためにもなるべく成功を演出していきたいという思いを感じました

言ってはいけないことなんでしょうし言わない方がいいのかもしれませんがやはり言う人もいなければならない、健全ではないと思いますしそれどころか国益を損なうと思いますので無関係だからこそ言いやすい、私のような背負っていない身だからこそ言えることを言おうと思います

霜降り明星のネタは面白かったけど漫才ではない、漫才の一番を決めるというM-1グランプリの芯からすれば違うということになるといえそうです

勿論その日の会場の雰囲気に合わせ選んだネタであるのだからと言ったような問題も加味しなければなりませんし芸人としては正解なのかもしれません

芸能界らしさとも言えるのかもしれません

こういった戦い方もジャルジャル等に代表されるゆとり世代からの寛容な感性により積み上げられてきたものであるかもしれませんがつまりジャルジャルは自らの輪廻により完敗したのです

なので審査員の方たちは立場や現実世界のしがらみや会場の空気などなど私たちが思っているような簡単な仕事ではないと言うことを視聴者も理解し、それもひとつのエンターテイメントなんだと楽しめる方がよいと思います

こういったテレビに対するアプローチの方法も民族コミュニティにより偏りがあることや特定の個人をいじめるのための番組すらあると言うことをすべての国民が理解するべきだと思います


そして私は強く思うことがあります

もしこれらに政治的な力が働いているとしたら、東京大学教授の宮台先生のパクリではありますが昭和の義務教育を受けた頭カチカチのかねてから私が歯車アイヒマンと表現している思考を持たない人々、つまり昭和教育の被害者たちはやはり意味をわかっていないのだと思います

というのもゆとり教育や若者のインセンティブ、つまりエフィカシーをあげることは必要なことではありますが政治が介入した世界ではさらにインセンティブが下がります

やるならもっと緻密にやらなければならないでしょうし大きな問題があります

それはゆとり教育が花開くのはたまたま生まれる天才などというものではなく、まさに苫米地秀人博士が推奨するようにエフィカシーをあげることにより寛容な社会で生まれ育まれた人々は好きなことを猿のオナニーのようにやりまくり、優秀な人が嫌いなことを十年やって学びたどり着ける境地へも低能な人が好きなことをやって10年でたどり着けると言ったようなことや、低能と思われるような人が独自のセンスでよくわからない誰もやらないようなことをやり続けていたらものすごい大発見や人類にとって有益なものとなっただとか、優秀な人が好きなことをやり続けて五十年かけて今まで誰もたどり着けなかった境地にたどり着けたと言ったような、その出現を期待するべきものであるのだから若者の成功ではなく、中年の成功、つまり好きなことをやり続けて独走している人や貧しくも楽しそうな人を取り上げる方が効果的で、万人の労働インセンティブを上げようと政治がテコ入れした成功で興奮させようということをしているのでは?と感じてしまうような感性を持つ人からするとやる気を削がれるようなことを大人が、社会が行ってしまっては元も子もないと言わざる終えない

社会が不誠実になり被害に会うのは誠実な人々だということを忘れてはならない

結果が出れば良いと考えるかもしれないが労働インセンティブをあげるどころか現在必要なのはいきるインセンティブ

つまり未来の餌や成功で釣るのではなく、現在の現状が報われた、報われていると感じなければならないということに他ならない

つまりお金を渡しインドなどにいかせ実体験として自分達は恵まれている、何かしたい、役に立ちたいと思わせることが必要なのではないでしょうか?

さらにその体験などについても認識の中の出来事だから実際にはいかなくてもいいと言った考えやIT技術の発達で臨場感が高いからと言ったような問題もあるかもしれませんがそういうことではなく、つまりは同じ釜の飯を食べることでしかこの人たちのためにもという感覚や何かしなければならないと言った感性などに強く響くことはないと思います


国家がなぜお金を使いたがらないのか、またはお金を使うところを既得権を中心にしか考えられないのか、本当はみんな知っているのではないですか?

そんな中で作られた成功のような政治的手腕を振るうことが、それらに纏わる動機を疑うことはありませんがその効果やそれについて考えている歯車アイヒマンたちには不信感しか残りません

それこそがまさに労働どころか日本人の生命力や国体を破壊しかねない原因なのではないでしょうか?

つまり統治者の盲目、大衆と権力構造に近い民族との共通認識の乖離


民主主義の恩恵、についてや、日本が助かるには、という問題についてこのブログでも綴っていますので是非ご覧いただきたく存じます

論理のパラドックスに陥ったときに大切なことはどちらが正解か決めることではなくどちらもあると認めることなのではないでしょうか?

IT業界やリアルに生きる経済界や科学(量子論)の世界では当たり前に共通認識として持たれていることがなぜか政治や教育や公官庁社会の中では数十年遅れで入り込んでいく、つまりシビリアン・コントロールが日本の足を引っ張っているという現実やまさに富裕層と一般社会との共通認識の解離による弊害が起きているのではないでしょうか?

これは動機は問題にしておりません

盲目で判断し盲目の行動を起こしているのではないかということです


お金を配り生きるインセンティブ、つまり興奮やまさにエフィカシーをあげてください

お金があったらこんなことやあんなことと考えている人々はたくさんいます

それはまさに貧しい人々です

お金がインセンティブそのものであり、お金がエフィカシーをあげるのです

卑しい昭和の物欲に支配された人々には理解できないかもしれませんがこれは普遍の原理であり正解だと思ったことこそが間違う時代です

こうなったらあーなる、あーなったらこうなる、と勝ち続けてきた昭和を経てこーなったらあーなる、あれ?ならない!あーなったらこーなる、あれ?ならない!となることは確率的にも輪廻としても普遍的に自然なものです

お金という幻想に支配されているのは誰なのでしょうか?

消費するからこそ産み出す経験値を得ることができるのに市場が資本主義の末期にある今、消費できない稼げない時代の人々はどうやって経験し何を産み出すことができるのでしょうか?

子供にいろいろな経験をさせるのと同じように育てるのであれば消費させるしかないのです

そしてその消費こそが教育となりインセンティブとなり成長となりエフィカシーをあげ国益となり日本、果ては世界を救うのではないでしょうか?


物造りの時代に生まれ物欲に支配されることも普遍の原理です

ですので仕方の無いことではあるとは思いますが人類の経済の歴史を振り替えれば資本主義の末期、富裕層の偏りが固定化され労働インセンティブが失われ国民の生命力が衰え戦争に突入してきた時代に戦争を繰り返さないためにできることとはなんでしょうか?

それはまさに執着心を捨て奉仕をし続けること、与え続けることであり、日本が国民に与え日本国民が世界に与えることができるようにするしか戦争を回避することはできないのではないかと思います

これは原理原則にしたがった発想であり普遍的なものであると思います

盲目は誰にでも訪れ、あり得ない角度から答えがやって来ると思いますし、それこそが万人が生きているということなのだと思います

勿論、国内のくそより海外の優秀な人へという考えもわかりますし経営側としては安全で確かな選択のように見えると思います

がそれは海外で起きるべきことや育つ人材を先に消費したに過ぎず国内や大きな視野で見ればなんの解決にもなっていません

しかもその選択は国家単位で考えた場合はすべての国の内部に強力な敵(不信感など)を作るため全体の不利益となります

資本主義の特性上、優秀な人を企業が搾取しただけで悲惨な未来を先送りにし偏らせたにすぎません

しかし経済界がそのように動くことも自然な反応ですし、だからこそ国家が右傾化する必要があることがわかります

但し、お笑いという世界が文化や伝統を組み上げていくときに政治権力が水を指すべきではないとも思いましたがテレビという影響力の強い存在へ介入せざる終えませんし、文化や伝統という意味で言えばテレビ業界ではなく漫才協会などすでに確立された世界があるのですから特に問題にもなりませんね

なので電磁波攻撃にも中ば強引にでも介入してほしいものです

まともな社会生活を送らせないということは理解できますが噂に尾ひれがつき一人歩きしていることも考えてほしいものです

反論することも叶わない状態での行いは適正とは言えないと思いますし、それらを判断している権力に近い人々のなかにこそ私的に権力を悪用し、私腹を肥やす人々が存在し、その存在こそがこの国の一番の害悪になっていることから目をそらすべきではないのではないでしょうか?

騙された方が悪いというのであればそういった権力を悪用する人々をまず騙してから行うべきだったのではないでしょうか?


こういった理論を突き詰めていくと日本の人的資源や労働インセンティブ、つまりエネルギーが一番貯まっており、社会的にも人道的にも反社会的な言い方で言えば筋が通る答えにたどり着きます

それはきっと昭和の歯車教育を受けた人々は気付けない、又はそういう発言は控えたい、と思って考えないようにしているのだと思うのですが私はあえて言おうと思います


何十年も我慢に我慢を重ね気合いだ根性だと虐められ、我慢だ辛抱だと生き続け、さらには同じ行動をとるのが好きで、つまり共通認識が強く、反対に同調圧力が強いとも言えますが人間的に社会性もあり、あまり変なことはしないできない

それでいて高い技術を持ち、長い間我慢しているからやりたいこともたくさんあり、若さや輝かしい未来への羨望から無茶をしたりすることもなく、いざとなれば「それは違うでしょ」と言えば素直に止めることができる

さらにこの人々が恩恵を受けることについてこの日本社会において誰も文句をいうことができない存在がいることに気づいてしまいました


それこそがまさに昭和の歯車アイヒマンと表現している人々のことでこの世代の人々は日本を世界1の生産国にまで登り詰めさせた親達を持ち、愛の鞭でしごかれ、自分達は礼節や上下関係の文化などをいやというほど刷り込まれたにも関わらず、ゆとり教育という時代に合わせた方向性の変更により上に挟まれ下に挟まれ、あちらを立たせばこちらが立たずという中間管理職のような世代間ギャップに苦しめられてきました。

なので思うのです

国内のくそにお金をあげるのが嫌ならば、富裕層の指示を得られないのであれば、現在の40才後半から60才くらいまでの人々、つまりベビーブーマー世代などに現金を配るというのはどうでしょうか?

高い技術を持ち、角もとれ、落ち着きもあり、長い間国家のために辛抱させたのに年金はどこにいったかわからない、上の人々は権力を手放さない、下の人々はやりたい放題言いたい放題

なんだかすごくかわいそうで涙が出てきました

このブログのおじさんの話というのを読んでいただきたいのですがこの世代の人々はいわば我慢することしか知りません

我慢すれば良いことがある、我慢すればみんなが報われると信じています

辛いことや悲しいことも人前では出さず、たぶん一人でお酒でごまかしているのです

ゆとり世代からすると、なんの意地を張っているのか、格好つけているのだろうけどカッコ悪い、自分から辛い方に向かっている、それは強さではなくごまかしだ、といったように見えるのですがこれはつまり女性的な感性と言えるのかもしれません

この人々は国家の犠牲であり、救うのは国民の義務であり、さらにはゆとり教育の天才の卵、というかまだ育っていないバカな子供たちにわざわざ成功を産み出したところでなんの意味もないのではないでしょうか?

それはつまりゆとり教育というのは後々に延びてくるものであり奇跡を起こす天才が現れるように感じますが実際は違います

エフィカシーの高さや自由な発想から来るつまり奇跡的な努力をできるということです

なのでゆとり世代はまだ放っておいても飯さえ食えれば後々勝手に生えてきます

しかしベビーブーマー世代などに代表されるいわば引退世代はよくわからないけど貯金してしまったり、なんだかわからないけど浪費は悪だと思ってしまったり、つまり資本主義中期の洗脳が解けません

ですので現在持っている額のなん十パーセントや持っていない人は一定額をプレゼントするというのはどうでしょう?

これは世代差別だなんだと言える人は突き詰めればいないと思いますし、お年を召された方々もゆとり世代(七十年代後半以降くらい生まれ)の子供たちにお金を持たすより安心で納得できるのではないでしょうか?

そしてさらにこの循環が日本にもたらす好循環は言うまでもないと思います

頑張れば報われると中ば騙してしまっていたのは国家なのですから報いるべきなのではないですか?

たぶん気づいてもこの人たちは自分で自分が得をすることは言えないのだと思います

そう教育されているから

それが社会性だと思っているから


この国では「自分が得してみんなも得するなら自信を持って言うべきだ」、となるにはあと20年はかかりそうです

何故か自分が損をして人を得させるという美学が道徳的だと感じてしまう洗脳が施されています


しかし上記のことを実践し、世界では当たり前の感性を日本の大人たちが身に付け、早ければ五年後に日本は世界に先駆けた新しい哲学の扉を叩くことになり、資本主義を超越し、生産性世界一に舞い戻ることも可能なのではないでしょうか?


けちるな日本

これは国家の義務であり、人間性を捨てさせ労働に従事させた報いであり責任だ

報いていないからこの人たちは脱税のために努力するんだ(国家の国民に対する愛が足りていないから愛国心が育っていない)、

と感じました


私事ですが近頃は政治に不満を持つルサンチマンという最後のエネルギーすら無くなってきました

というより政治に文句が無くなってきたというか素直に応援しているというか

ゆとり世代にもお金をください、インセンティブをください

エフィカシーを上げる簡単な方法があります

現金支給です


未来から流れる時間軸、、、


この国を蝕んでいるのは、

心が蝕まれているのは、、、