勉強と遊び

勉強と遊び、飽きたら同じ


昭和教育の人々が現在は遊ぶことに価値を置くべきだと押し付けてくる

若い頃に勉強ばかりしていた人が年を取り引きこもりを見て外に出てセックスするべきだと押しつける

自分たちのコンプレックスの正体に目を向けることもなく人の人生に介在し引き篭もって勉強なんかしてないで人と接することに価値があるのだとレイプしてくる

確かにそれも正解だ

しかし僕のようにずっと人付き合いだけで生きてきたような人間、それもコンプレックスの塊みたいな人々に囲まれて事あるごとにヒ素を混入されて育った存在からすると閉じこもって学んでいる時間がとても有意義に感じられる

騙されたり嵌められたりする事もなく恐怖や疑念から遠ざかることのできる生活

都会で疲れて田舎に逃れる人の気持ちと同じものなのかもしれない


人は誰しもが盲目を抱える

だからこそ無知の知と言われるように、自らが無知であるという初心を忘れていない人のみが聡明な文化的人物として敬うに値すると言えるのではないだろうか


しかし日本ではそんなことは関係ない

年を取れば偉くなり男であれば声がでかくなる

そんな文化を変化させてきて現代の若者は全く違う世界観を養った

それなのに齢八十ともなろう人々がこの国の実権を握っている

一体何を隠しているのかと思う程に席を譲らない

権力には必ず秘密が存在することが関係しているとしか思えない

バレてはならないことがあるから席を譲る事はリスクとなるので譲ることはできないといったところか

その形を変えたりすることには考えが及ばないだけで実際にはいくらでも手の施しようがあるのではないかと思えてならない

実際には大した問題でもないのに国家や若者の未来を犠牲にしているのではないか

それ程までに昭和教育の人々の発想力や類推可能性思考能力には信頼が置けない


しかし更に困った問題がある

令和元年現在の六十代以上の人々が席を譲らないのはある意味でリスクヘッジという観点から諦めもつくような面がある

しかしそれ以下のベビーブーマーとその子供たちの時代が迫っている

この人々は昭和教育の悪いところの集大成と言っても過言ではない

上からは虐められ下からはバカにされる

更には高度経済成長期の人口増加中の縦社会で虐めは愛の鞭だの愛深き故に愛を捨てるだの、人間が生まれながらに悪だと断定できる多くの悪を受け入れるだけでなく自らが体現してきた世代

なんの躊躇もなく若者や貧困国の人々を奴隷化し未だに盲目だらけの正義を語り必要悪だと言い張りながらオウム真理教さながらの洗脳を主軸とした弾圧や虐殺を繰り返している

更には犯罪の温床となっているだけでなく騙されていることにすら気がつくことはなく無実の人々を弾圧しエクスタシーに浸り家路につく

そして社会性が高いとされこの国を主導して行くのだろう


あと十年もすれば少しづつ化けの皮が剥がれ始め、明らかな差別や弾圧が始まる

その時には現在の八十代のように義や筋のようなものは存在しないだろう

あるのはまさに力のぶつかり合い

国家への忠誠心など微塵もなく自己中心的な正義のみがこの国を埋め尽くすことは明らか

それらすべての負担は貧しいゆとり教育を受けた人々へと与えられることになる


お金があれば逃げることができる

所詮は弱肉強食だと部落民のように子供の頃から全く違う教育を受けていればアンテナを張ることができる

しかし僕達一般人は何も与えられていない

待ち受ける拷問のような時代を只々ほそぼそと貯金をして待ち受けるしかない


やはり日本人はある種の知的障害なのかもしれないと思うようになった