悟りまで最短で辿り着く方法

悟りまで最短で辿り着く方法


息を限界まで止めます

それは自ら命を絶とうとする程にです

やり過ぎるとほんとに死ぬかもしれないので一人ではやらない方が良いでしょう

キスをして欲しい人と二人きりで行いましょう

意識が無くならなくても感じることは空気があるというありがたさ

そして全てにありがたみを感じます


これ自体は悟りではありませんが悟った後に訪れる幸福感や多幸感ととても同じものです

本当に悟った瞬間はとろけるのですがそれはどうやるのかは分かりません

言えるのは幻覚系の薬物を大量に摂取するという程度でしょうか


そしてその全てにありがたみを感じた感覚を持ったまま考えます

それはなんでも良いです

自分が興味があることを考えます

あまり複雑なものでない方が良いです


例えば横になるのが好きな人は横になっているということを突き詰めてみましょう

この事を考えるの今はじめてですので、もしかするとたどり着かないかもしれないことをご了承ください

なぜ横になっているのか

ずっと座っていたから

疲れたのだろう

いや、特に疲れてはいない、が寝ようと思えば寝れる程度には疲れている

横になることでなぜか気持ちが良い感覚に満たされる

体が求めている

ずっと座っていて血の巡りかなにかによる影響だろうか?

これに答えはでないけど感覚的には骨への負担を負担を分散したいといった感覚

いつものことだけど横になっていると体制を変えたくなる

つまり横に向いていれば良いということではない

やはり体への負担を体が調整するために僕の感覚や心を体が操作している

僕はこの体が機能を調整するためのものに操られているようだ

ということは僕は自由ではないということになる

しかもそれは自分の体が自分に課した生きるということを強制している

僕の体が生きたいと願うものにより僕の心は支配され操られている

僕とはなんなのか

僕はこの体の反応に逆らうことが出来る

辛くて痛くて苦しくても体勢を変えずに我慢することが出来る

しかしそれは僕の体に対しても僕の心に対しても良いものではない

心と体のお互いのメリットが体勢を変えることを望んでいる

だから体勢を変えれば良い


では心と体のメリットが反対になった場合はどうしよう

やはり生きるためには体の声に耳を傾けるべきだろう

しかし不思議なことに体の声に耳を傾けすぎると運動不足などの不健康になる

体の声に耳を傾けると体を壊してしまうことになる

だから心で調整するしかないのか


なぜ体は正確な生への執着を捨てたのだろうか?

自然と体が生きることを教えてくれるべきものなのではないか

子孫を残すために最適な反応を示してくれるべきものなのではないか

これまでずーっと生命を紡いできた宇宙の成り立ちなのか地球の成り立ちなのか僕の体に生を紡ぐという普遍的な生物の反応が働く筈なのではないか

生きるということが辛いものとなる事がある

生きるためにしなければならないことを体が拒否することがある

そればかりか体も心もお互いが僕に健康を許さないことがある

それは薬物の誘惑なのかもしれない

堕落なのかもしれない


心も体も死を求める

今まで自分に起きていた過去を振り返り生きることが辛いことしかないという現実に直面する

多くの人々が若かりし頃に培ったものを大切にしながら生きることが許されている中で、僕という存在はその全てに増悪を埋め込まれた

生きることが苦しみとしかならない

死にたくないわけではない

生きたくないわけでもない

心が蝕まれている


そこに希望や光はない

例え経済的に成功したとしても一人では何の価値も見出だせない


生きるとはなんなのか


、、、

しかし僕にはまだ残されたものがある

それは何でもないただの命

何となしにただ流していたyoutubeからアデルのSome one Like Youが流れて涙を誘う

ここは家ではない

涙を流したくはない、いや、山の中も僕の家ではない

人に見られたくないのか

僕には羞恥心はあるようだ

今はただアデルの歌声に心を委ねようと思う