聖書を反対に考えてみたら

聖書を反対に考えてみたら


聖書を読んでいて大きな疑念が存在する

それは様々な奇跡についてのことであったり宇宙人らしき描写などについて

普通に解釈すると主という存在がいて人類を管理していたと受け取れる

そしてある時から姿を表さなくなり最後にキリストを使わされた

これにより聖書は哲学的狭義へと辿り着くことになる


しかしそれら聖書にまつわる様々な憶測や書き換えへの懸念などを拭い去ることはできない

なぜなら人間が残したものだからだ

もしかすると本当に頭のおかしい人が綴っただけのものなのかもしれない

そんなことはないと思うけどいろいろと思案をしているとある想いが沸き上がった

それはキリストという存在についてだ


例えば旧約聖書を読んでいて主という絶対的な存在に強い疑念を持っていて、さらに言うなれば時の権力者がそれらを悪用していたとしたら

旧約聖書にこう書いてある、言うことを聞かないと天罰が下るぞ!といったような脅しにより大衆を統治していたら

それどころか旧約聖書なるものがそもそもそういうものだとしたら


そんな時に敬虔なクリスチャンは集まり考えた

このままでは世界がダメになる

何とかしなければ


そこで考えられたのが新たな主の降臨による腐敗の是正

つまり奇跡や主の存在や印を演出することで横暴な時の権力者から権威を奪い取ろうという民衆による民衆のための活動

つまり新約聖書が全てクリスチャン達による自作自演

こうすることで時の権力者や腐敗していた民衆達を納得させ良い方向へと導こうとした


そして起きてはならないことが起こる

邪宗扱いをされたキリストは磔にされ命を奪われたのだ

もしこれらの推測が正しければキリストはまさに命を投げ出し救いを下さったということになる

目が見えるようになった人は目が見えるようになったという印のために長年の演技をした

キリストのワープは実は双子であった

生まれ変わったキリストはお姿が変わっておられたのは死んだ双子は痩せこけたけど生き返ったら太っていたとか


どれだけ考えても答えはでないけど周知の事実として確かなことはキリストは命をなげうって愛を世界にもたらしたということ


僕のブログの勝手に分類というページには宇宙や仏教や概念の情報の分類をしている

そこに書かれているのは僕が分かりやすく整理したものだ

一番上に仏教が存在しているのは情報の内包されている順番に置いているからだ

キリスト教では表現がなされていない面などがあるから仏教を一番上においているのでキリスト教信者の人には不快に感じるかもしれないけどあまり気にしないでほしい


結局のところどれだけ情報を網羅しようとも人類に与えられた答えのない現実を生きている中で唯一生きる希望となるものはキリストが与えてくださった愛なのだから


肉は食べることにします

病気になりそうだから