少々過激になりました

※すべての人ではありません

※差別的表現を含みますのでご理解のうえお読みください

日本が育んできたものが崩れ去ったのは海外文化を取り入れたからだと言うことでその根本的な問題を理解することでしかこれからまだまだ起こるであろう弾圧や差別による被害を最小限に食い止めることができないということです。

海外文化について文句があるわけでも海外のせいにして愛国者を気取りたいわけでもありません。

むしろ国という枠組みは不必要なのではないかとさえ思っていますがそれにはまだまだ時間が必要でそれまでに起きる国内での問題にしっかりと眼を背けることなく曇りない眼で見つめる必要があると考えています。


西洋では悪いものは絶対的に悪いものとして排除するという考えの下ですべては清いものであるべきだというある種排他的な概念の上に成り立っています。性欲を悪しきものだとし蓋をすることでその性欲はより歪みをおび懺悔に訪れる子供に性的悪戯をしてしまうのは正に西洋文化のこういった面による弊害と言えるのではないでしょうか。

絶対的な正義や悪はこの世には存在せず時代や立場や環境によるだけでなく時空に存在するものが単一のものではなく相互に関係している状況においてはどちらかだけが絶対的に善だ悪だということはありえないということです

それはつまりどんな凶悪な大量殺人であっても多少なりとも救われたものの存在や恩恵を受ける対象がある以上、全くの悪とは言い切れないと言うことですべての答えにおいてこちらが絶対だということはなく唯一確かなのは善悪を永続的に断定することだけは間違いだということでその上で日本や果ては人類のために考えておきたいことは民族コミュニティが自らを優越することや税金を投入する先に偏りがあることが問題なのではなく、それらは開示の義務があり隠してはならず合意形成を怠らないということが大切だということです

そしてたとえ権力構造で力を奮っていたとしても問題ではなく、それは正当な活動により得た彼らの熱意などによる列記とした正当な権利なのです

しかしながら国権というものは国家のために振るうものである以上、国家よりも民族を優越することは許されず、これは同和対策などに税金を投入するべきではないといった意見や公官庁などの同和枠を問題視するというわけではなく、三権分立や解散権などにより国家のために力の抑制をするように設計された構造が内部に特定の民族が集まることにより国会、司法、行政、経済、裏社会、宗教界と組織の枠を超え民族に優越的に特権を行使できることが問題なのだということなのです

つまり抑制するべき権力同士が抑制どころかその特権をさらなる権力の強化のために使用され、自分たちですら操作できないところまでタブー化され暴走を始めているのが日本であり警察であり弁護士会であり官僚機構であり教育現場であるということのように思えてならないのです。

しかもこういった構造に組み込まれている本人たちはその強大さを幼少期から目の当たりにしているためその絶大な権力に恐怖心を持ち自分が何が正しいと思っているかさえ認識できず、更には先程のような正しさには表裏一体の面があるのだからといったようなことを教えられ、考えることを止めさせているといったようなことが実情であると言えるのではないでしょうか

なぜならばここまで考えるのは日々の生活に追われている一般の方々には骨が折れるだけでなく逆らったところで変えていくことは困難でさらには自らを優越的地位に置くために機能しているコミュニティであるなら自らが属しているコミュニティに逆らうことはまさにただの裏切り行為以上に一族の人生を脅かすほどに損であるということにほかならないということでコミュニティ内部の、外部に対し清き人々の自己犠牲の精神、つまりは悟りの境地や博愛、全体愛ゆえに漏れてくる少ない星のかけらのような真実たちを拾い集め、日本人が自ら気づき行動するしかないということです

それは自分たちが生かされているということに留まらず、人生そのものをコントロールされており、果ては配偶者すらもコミュニティにより決められているということを考慮する必要があるのかもしれないということです

事実そういった活動の存在であると考えられる例などはありふれています

中途半端なキリスト教のように正しさや愛などの一辺倒で女性的と表現できるような、不都合なものに眼を向けづ蓋をするような文化や中途半端な儒教のように強さが全てと言ったような優しさや思いやりを捨てることで勝つことが全てといった男性的と表現できるような文化や道教の表裏一体や仏教の空のようにすべて同じなのだからいくら悪いことをしても同じだと言わんばかりの論理を展開してしまう宗教や組織が存在し、被害感情や民族意識を求心力として組織の拡大強化、維持をしているようにしか見えませんし経験した限り、ネット上で調べる限り事実です。

これらの証明は一定数漏れてくる被害者の声や裏社会、宗教界、政治、人権団体、労働組合、などにいる人々が特定の民族により集まっていることを鑑みれば証明出来たも同然ですし、その行いを見れば国内ではやはり差別的意識が働いているのは数々の事件を辿ることで確認できます。これらの証明には差別的偏見があるからだと考える方もおられるでしょうしそういった方がたは当事者であることが往々にしてあるためここで論じてもきりがないのでご自分でお調べになってください。

何故突然善良な市民が連続殺人犯になったのか、何故突然精神が崩壊したのか、それらに纏わる宗教やコミュニティに所属している人々が何故そのようなことをしてしまうのか、考えれば誰でも辿りつく答えです。

それでももしそれは想像にすぎない、状況証拠の寄せ集めだと考えるのであればすべてを透明化すればよいだけです。

特別会計の流入先に民族的な偏りがないといえるのか、宗教や組合で活動している人々の戸籍を辿り民族的偏りがないか、被害者と言っている人々はどういう民族なのか、冤罪は、自殺者は、行方不明者は、保険の受取人は、地区による保険支払い率は、本気になって調べればよいことですが労働組合や各宗教団体がこれらを開示するのは差別だと騒ぎ立て抑制する理由はなんなのか、国連でも何故か日本が差別国家だと中傷されていますがこれと同じことが起きていると考えざる終えません。

仮に違うとしてもこういった明らかに国民が不信感を抱くような声が上がっている限り日本国民に対し差別的被害ではないかと思われるような現状がある以上それらを是正するために、例えそれらが事実ではないということであってもそれらは想像に過ぎないと証明するために国民が納得できるような情報の開示をする義務や責任が国家権力には付随すると考えます。

これらは日本国は日本国民の人権に対し平等であるとの考えからです。


しかしもともと日本の社会というものは村社会で相互控除の精神が根強くあり、たとえ悪いものであっても悪いものを悪いものだと蓋をするというよりは逃げ道を用意すると言うような感覚で社会を形成していました。

その逃げ道となり福祉機能を果たしていたのが山岳民族や部落社会であり、山などに逃げ延びることで生きながらえることができたのではないでしょうか。

それは叉鬼(マタギ)といわれる山で狩猟文化を形成していた後に部落民と言われることとなる人々に根強く残る、殺生は悪いもので心を又、鬼としなければならない、だから叉鬼と言うという、悪を許容する心のあり方にも見られるものだと考えます。

しかし戦後のGHQによる検閲や戦後の西洋や中華などの文化の流入に伴い、日本の古き良き悪を許容した人間のありのままの姿を許さない現実があります。こういった多文化の流入自体には何の異論もないどころか国際協力、國際競争の中、推奨すべきことではありますが世界に誇れる本当の日本文化が消えていることを危惧しています。それは裏社会と定義されるような文化であってもです。

但しこういった日本文化が弾圧される理由は確かにその社会にあります。

民間人への恐喝やご法度とされる覚せい剤の売買、殺人やテロ行為など

とはいえ総理大臣や権力の偏りで民族意識を主体とした別のコミュニティにより、これまで悪事を働いていた組織がさもこれまで悪事を働かず正しい道を押し通してきたといわんばかりに在日コミュニティを弾圧している昨今の風潮に疑問が残ります。責任を在日に押し付け、自らの責任逃れに走ると言ったようなものに思えてならないのです。

それは行政などが行なっていると考えられる必要悪と称し集団ストーカーなどによる犯罪の責任を逃れている姿勢と同じもののように感じています。この証明は実体験にもとずくものであり人権センターや市役所での会話を録音しておりますが盗聴によるものでありますし聞き手の感性を理由にいくらでも逃げることが出来る程度のものです。そして何よりもこういった行為に及んでおられる方がたは子供の頃から被害感情を刷り込まれるだけでなくコミュニティの持つ強大で超法規的存在の迫力に圧倒されていますので被害者であるという側面を拭い去ることは出来ません。

これは同時にこういった行為に対して立証することは極めて困難で不可能に近いということの証明であり、これを行使するためにも憲法改正、テロ等準備罪のより強固な形での成立などが必要と考えます。がしかしこれらを行なう組織が悪しき組織の手の及んでいないものだということを確保するためには現在であればただ法整備をすればよいだけですが時を経てその特権は又、腐敗します。

ですので永続的に流動性を保たなければなりませんし根本的にはやはり国内の民族問題を蓋をすることなく摩擦を恐れず取り組み悪しき状態にならないよう努めることが必要と考えます。


こういったことを疑わずにはいられないのはまさにタブーを作った副作用でありこれらの国民の不安に対し国家権力は国民が納得できる説明責任を果たすべきであり、勿論それらに纏わる弊害への保障が必要と考えます。

そればかりか済州島民という在日韓国人に恨みを持つ存在があり、これらの組織が行なうと考えられる集団ストーカーや薬物の投与などの作用には過去の歴史の中で自分たちに起きたことを現世で仕返しをしているとしか思えない症状が現れていると言うことに注目しなければなりません。

テレビをつければ砒素などを混入した飲食物を対象に与える場面や急激に太る薬ややせる薬の餌食になった人、ホルモンを注入され同性愛者になった人を写すことで優越感に浸っている様に思えます

こういった超法規的な存在を取り締まるべき国家権力の中にも民族意識を優越してしまう存在が多数存在し、同一民族ゆえに捜査ができない、捜査妨害、冤罪、抑圧、洗脳、などなど疑い始めればきりがありません。

しかしこれらはただの疑いではなくれっきとした事実だと考えています。

しかし声を上げれば差別だと言われるだけでなく過去や友人関係などを調べ上げ、冤罪だろうがなんだろうが対象者は悪だとコミュニティで不在裁判を行い、合法的な集団ストーカーの対象とし、精神を追い込み病院へ誘導し、統合失調症と診断し薬漬けにし黙らされているというところが現状ではないでしょうか。

これらは子々孫々受け継がれ、住む場所や結婚相手に職業や生活レベルまで操作できます。

こういった行為は人権侵害どころか自殺に追いこむ殺人行為であり、さらには日本に生まれた個体であっても北朝鮮のスリーパーセルによる戦争行為といえるのではないでしょうか?

つまりこれらに対ししっかりとした対応をしない日本権力は日本を捨てたと言えるのです。

そして一部の権力者が私服を肥やすために海外に取り入り民族意識などを悪用し国間でやり取りする外交費や助成金などの税金をちょろまかしている姿を見てすべての権力が売国奴と表現されるようになったのです。

そしてこれらの不信感が国民の心に見えない重しとなっていることはいうまでもなく、それは生産性を阻害する要因でもあるといえるのではないでしょうか。

電磁波攻撃の強弱とこのブログの相関関係から読み解く公安警察のアイデンティティー