哲学や論理の矛盾

哲学を小学生では教わらないのは何故だろうと思っていました

哲学は難しいから教えないと思っていました

小学4年生のころ、門限を破ってしまい4ヶ月間学校と家だけの軟禁生活がありました。

外出禁止、クラブ禁止、漫画禁止、テレビ禁止

ぬいぐるみで想像の中で戦ってました。

あの閉じ込められた日々が民族差別に晒されていたことに気付いた今を支えているんだと思います。

一人は特に苦ではない

だけど皆で騒ぐのは楽しい

なのにもうそこに魅力を感じることはできない

なんだか今はそれが心地いい

母をそばに感じる

振り返ればこれまでの人生一人の時間が多かった気がしてきていて、苛められていたのだと考えるようになり、とにかく閉じ込められた経験が今ではありがたく思えています。

象や虎、ガチャで手に入れたロボット、あとはあんまり覚えていません。

気分はオズの魔法使いで、戦ったり仲間が死んだり生き返ったり、だけどある日壊れました。キーホルダーの輪っかの部分が

外れて必殺技が出せなくなって、だから知恵の輪みたいに直しました。それ以来、何かとばらして組み立てて

算数の時間に図形の問題が出されました。

計算はできなかったのに図系は見ただけで分かりました

それが不思議ではありません

ただ皆がわからないのが不思議でした

目の前に見えてるのに

年をとり、恋をして、傷ついて、傷つけて、愛って何だろう

長く続いた彼女ができて平凡な日常が訪れて、裏切られて後にします。

愛が何となわかってきました

愛って何だろうなんていうのはすごく哲学的だと思います

だけど経験してないと分からない

図形の意味が分かるのも経験していたからです

もともと答えを知っている

経験してるから知っているんです

分かってるのに考え始めます

人間は生まれながらに知っています

愛し守り助け合い貶めあう

つまり戦い

人類が誕生する前から繰り返してきたのです

算数で50と言われても50って何だろう?とは考えないのです。

三角は三角、丸は丸

哲学は答えを求めるんじゃなくて、感じてる答えを言葉にする学問だと思います。

算数と反対

正義とは何か

生きるとは何か

言葉があるから世界が壊れ始めたような気がしてきました

パンドラの箱

アダムとイブ

小学生の時に聞いたことがある

教えてくれていたのですね

もし憎しみや悲しみに心を奪われるのであればそれは自慰行為

必要なものです

強い感謝にありがとうでは済ませたくない

強い罪悪感にごめんでは済ませたくない

軽々しく言いたくない

軽々しく言ってほしくない

謝って済むならなんでもできることになる

恐喝

強盗

殺人

拷問

謝ればいいのなら、、、


正しくあろうとすることに論理はいらない


しかし近年、社会が論理により成り立っています。ですのでこれまで不変的だと考えられていた正義や善と言ったものはすべてなくなっていきます

つまりリアリズム、合理性による統治が始まります

なので完全差別社会の幕開けといえ、富裕層が完全に血筋で決まることとなります。

これは世界の潮流がそうなると考えられます

ビンサルマン氏の粛清や金ジョンウン氏の粛清、つまり同じような差別社会が幕を開けています。

現在生きている日本人の半分くらいははっきりと区分けを感じる世界に生きることとなるのではないかと感じています。

これは民族コミュニティ内部ではとっくの昔に話し合われていると考えられ、ユートピアに生き残るのは最低でもお金を稼ぐ程度の頭脳があり現在の富裕層に気に入られる文化や素養がある人々だけです。そして寿命も劇的に長くなると考えられ完全奴隷制度が確立されていきます。

とはいえこれまでの歴史から鑑みれば幸せな奴隷生活で、死んだ場合は富裕層が内臓を戴くといった程度のものです。中国では殺しているみたいです。


革新的です。


そもそもこういう潮流が強まってきたのは南アフリカでは助けようと試みた民族たちが反対にお金持ちである先進国からお金を巻き上げようと画策され様々な工作をされてきたことが発端と考えられます。統治者を名乗る人に援助をして助けたら、あいつは偽者だと内乱が激化したり、様々な嘘でボランティアや国際貢献組織からお金を巻き上げようとします。

つまり人間は所詮動物的な存在であり免れようはなく結局民族を優越することでしか平和な世界は訪れないのです。

これは日本でもたいした違いはないと言えます。

自分で苦労して手に入れたものは大切にします。

親が残してくれたものであれば大切にします。

先祖代々受け継いできたものであれば大切にします。

ただで手に入れたものは、、、教育が必要です。


まったく知らない裕福な人々が来て軽く見下されたと感じてしまい、被害妄想かも知れないとよぎったとしても、宇宙人と同じくらい文明の差があったとしたら、、、

実際に紛争状態で飲まず食わずで子持ちの人々だったら理念も恥もプライドも捨てて取れるだけ取ろうとするのは完全に否定できるものではありません。

我が子の為に全てを賭ける親

私はこれ以上の正当性を知りません

そもそも文明を見せびらかすというと語弊があるかもわかりませんが平等だ、同じ人類だと言う反面、やはり自分たち(先進国)は豊かな暮らしをしてしまっているという実態があるわけで、いくらかは善意の寄付で成り立っていると言ったようなことを知った場合には貧しい人々の立場であれば少なからず確率的に横暴な人々が現れるのも仕方がないものであるといえます。

ですのでこれから教育は二分化されると予想されます。リアリズムとリベラリズムを使い分ける富裕層と大衆の隔たりが作られます。この政策により内部に残す大きなしこりが時を経て沸き起こると考えられますが貧しい人々に真実を教えるのは苦しみを与えるのと同じことです。

というより一般義務教育で協調だ仲間だリベラルだと教えている最中、部落コミュニティでは結局は弱肉強食なのだと教えていたことが現在の日本の足を引っ張っているということなのかもしれません

幸い日本人にはまだ扉が開かれています。

つまりグローバル化の中で資本主義の末期症状や三世代ほどの成長過程、つまり現在のような世界になってしまって考えることは一つと言えると思います。

富裕層が安全に生きていくユートピアを維持していくためには心を捨てることが必須となります。現在考えているような心と言う概念を捨てることが出来ない人間は不都合なものとなり存在できなくなります。

合理主義

しかしこの選択は本来であればグローバリゼーションの弊害から起きている事であり、本来はその理念や哲学、つまり理想を失ってはならないものだと考えています。

なぜならばそれは内部に大きな傷と不審感を孕むこととなり開けてはならない大きなタブーを後世に残すことになるからです。

開けてはならないものほど人間は価値を感じ開けてしまいたくなるのです。

なので完全に差別化することで安定と平和をもたらすと考えられます。

もともとユダヤ教では民族的完全差別が行使されており、現在の世界を手中に収める上流階級だけがすべてをしっていると考えられるでしょう。

しかしこれまでのように時が経てば人が死ぬのであればその理念や痛みや記憶は薄れ時間が解決してきたものが、近代医療の発達、栄養学、遺伝子研究、思考のメカニズムの解明、移植手術などにより飛躍的に寿命が延び始めることにより、更に解決できなくなります。

これらはつまり心に残す傷や不審感を長い時間持ったまま生き続けることになると言うことです。

極端に言えば永遠の命を人間が手に入れたとしたらその人間の心の変化ははっきりと歴史に現れるでしょう。まったく同じ人間で同じ数でも時代により大きな違いを社会に生み出すことになります。これは人間が心、つまり思考を持っているからだと言えます。思考を持っている故に人は悩み喜び生きています。

数世代後か長生きした富裕層が過去の人類の生活に心を奪われ、パンドラの箱を開け心を持ち、富裕層のユートピアを破壊する戦争が起こることは必然といえるのかもしれません。

これは文明が始まった時から決まっていたことであり人間には逆らうことの出来ない破滅への道と言えそうです

すべては遠い過去の繰り返しであり、人類は又同じ過ちを繰り返そうとしているのでしょうか

これら精神的なユートピアの崩壊を防ぐためにはすべてを受け入れ多様な人種多様な価値観を流動的に維持していく、つまり偏りの起きない完全にリベラルな人間たちで埋め尽くす必要がありますが極端な格差で奴隷と富裕層と言う隔たりを残し優秀な人間は上がってこれるというようなものでは崩壊の危険があります。


つまり絶対的な差別が必要


漫画ワンピースにあるような天空人の時代が幕を開けるのです

いえ、もう始まって数百年が経とうとしていると言えます

そして人類は神話と聖書と巨大建造物を残し破滅への道を辿るのでしょう

仏教は残らないと言えます

お経が残されるのであれば文明も残っているという意味において


日本の経済界が儒教的な文化で高度経済成長期を勝ち続けそういった文化を持ち続けていたとして

その中にゆとり教育を施した人々が入り、その文化の中でクリエイテビティを発揮したり養ったりすることが出来ると思いますか?

又、中国のような儒教的な社会では競争相手の足を引っ張ることが効果的だとしてこれからの日本が右傾化して多様性を排除して中国と経済戦争戦ったり、これまでのように属国的だとしてもアメリカが納得の行くだけの付き合いを続けていくことが可能だという確信は持てますか?