差別国家日本



少々過激になりましたが実際はそんなに差別的だなんて思っていません

何なんだお前はとお思いでしょう

ただ最後まで聞いてほしいのです。

著者のブログをよく読んでいただいている人には理解して頂けると思うのですが歴史や生い立ちにより少々憎しみやドグマが溢れることがあり皆様には肝を冷やすような思いをさせているのかもしれませんが著者は安陪政権を応援しているし安陪政権?がほんとはリベラルだということも当初から理解しています。

と言うより現在の世界や日本において誰が総理になろうとほんとは行き先は大体決まっているんだということも理解しています。

移民政策についてもお二人がこれは失敗だと語っていましたがもちろん外交のことや国際貢献が必要であるということを理解した上で裏で話し合い、いわゆるポピュリズム、ナショナリズム対策に右を標榜しているんだからここは否定しておくかと言う結論に達しているということも容易に想像が出来ます。

その上で綴っているということを理解してほしいのですが例えば知る権利についてやはり疑問が残るのはそういったことが分かっているのに何故誘導しようと画策するのだろうということです。

国民が馬鹿だからと言うのは勿論理解出来ますがその馬鹿な国民を作る社会制度が危険だということが何故理解できないのだろうと不思議で溜まりません。

つまりメディアが社会の病魔であるというのであれば現在のネット空間の右翼左翼と同時に情報操作しようとする行為も又、病魔だと言うことに行きつくのです。

これは馬鹿にしているわけでもなんでもなく、みな同じ空間に存在しているということでこのいわゆる神の束縛からは逃げることは出来ません。宗教的な言い回しになりましたが人類が存在している情報次元の空間がそう出来ているということです。

そしてこの点が著者がかねてより申している大衆とシビリアンの隔たりによる弊害でありまさにポピュリズムそのものだということなのです。

何故このようなことになるのかと言うと大衆とシビリアン(統治者)の共通認識が薄れるからでこれに知能は関係ありません

著者がこのように俯瞰して現在の日本を見るのはもちろん頭が良いわけでも何か特別な才能があるわけでもなく、違う環境で育ち違う情報の中から飛び出しシビリアン(知識)の世界に足を踏み入れてみたからです。

これこそが正に多様性のなせる業で貧しく儒教的な社会に疑問を感じ権力構造に興味を持ち、ゆとり教育のお陰で日々の喧騒から離れ素直な気持ちで世の中を知ることが出来ました。

そして知識層での見聞を広めようと学び(ネットで遊んでいただけですが)考え表現しているのです。

皆さんからするとそんなの学んだうちに入らないというのはもっともですがこの行いを半ば脅迫めいたこと(ユーチューブのコメ欄の変な人ですが皆様の工作かは知りませんが勝手にそう思っています)で黙らせようとしてつまり脅しすかしで食い止めようとしたことは必要悪と考えているのでしょうがこれも何度も申していますが盲目が生まれている証拠であり、又度々繰り返しとなり大変恐縮ではありますが明らかに大衆とシビリアン(権力者)との隔たりによる弊害があり、シビリアン(権力者)にはもう大衆を扇動する誘う導く力がなくなっているということなのです。

これらは禁欲の果てに懺悔に訪れた青少年に性的悪戯をする西洋の神の僕の精神のアルゴリズムとまったく同じものと考えます。

つまり正義に溺れのどから手が出るほど悪を欲している、又は見えなくなっているのです。自覚はできないと思いますしそれは著者の表現でそういっているだけで著者こそがまったく違うものを見ているということなのかもしれません。

つまり流動性を能動的に取り入れなければ必ず集合体は腐敗(循環していない状態)するという原理原則からは時間(変化)が影響する限り何者も逃れられないと考えます。例え歴史といえども人間が表現する限り逃れようはないと考えます。

そしてその資本格差国家(問題は厳密には資本の差ではない)がゆくゆくは民族差別へと繫がり虐殺を招くのも不変的なものだと思います。

そして同時にその行いが著者を更に情報の開示に走らせる結果となったことがその証明だと考えます。

しかしその行いもまた操作されていたとしたらやはり知能というものはすごいなと尊敬せざる終えません。

ですので虐殺をしないためにはっきりと住み分ければよいではないかとなると思うのですがそれは時限式爆弾のタイマーを長めにセットし、より強大なものとする行為とまったく同じものだと考えます。

人間に首輪を付けて、たずなを持ち歩いていても何の変哲もない世の中が訪れたとしても、ある日あどけない少女が野良人間に餌をやり、知能があることに疑問を感じ、胸を痛め、この世に絶望するでしょう。

そして世界はまた崩壊への道を辿るのです。

そうならない方法があります。

それは痛みを伴う覚悟をすることで見えてくるはずです。大衆の痛みを感じ味わい知ることで低脳で薄汚れた無智な貧乏人もまったく同じ喜びを持っていることが理解できると思います。

2万人までしか仲間として認識できないとおっしゃる方もいますがその二万人が多様であれば問題ありませんし、敵ではないというような感覚でも国家として機能できます。

問題は隔たりと考えています。

つまり西洋のように決まったテーブルマナーがあり、せめて一緒の食卓を自然に囲める程度の文化、教養、素養を持ち合わせる、つまり共通認識を持てる程度の格差や交流が出来るのでなければ見通しは暗く、それが現在では民族コミュニティにより文化的隔たりがあるのが真実ではないでしょうか?

なのでこれらを当り前に理解して富裕層にはリベラリズムで大衆にはリアリズムと使い分けているということであれば日本は民族別社会主義国家であり差別国家だということとなります。

差別が悪いといいたいわけではありません

気付いた人間くらい救うくらいの寛容な社会であるべきだと考えます

それが知性に対する敬意であり人類の義務なのではないでしょうか

何故、牛などを殺してもよいのですか

何故、人間は特別だと心を痛めないで済んでいるのでしょうか?

南アフリカで文明を見せびらかせて“ホドコシ”を与えられ嘘をついて物資を戴こうとする自称正当な統治者を名乗るゲリラ集団の気持ちがわかるということです。

知ろうとしたことが悪いのであれば国家は国民を洗脳し人間にならないようにしているといわざる終えません

AIとかpythonの勉強したいのですがパソコンのスペックが足りません。働こうにも集団ストーカーや電磁波が襲っていて就職を困難にさせています。韓国の血が入っているのだから死ぬまで奴隷でいろという事なのでしょうか?たぶん韓国でも済州島民だと思うのですが真実は知りません。

それから友達のところに戻ることは60歳ぐらいになるまではないと思います。

その頃までには電磁波で死ぬのでしょうが、、、ずっとい虐められていたのであろうかということは勿論ですがその人たちとまったく違う道を歩いて15年が経ちますしこれらについてはここで語る気はありません。

というか誰か見てくれているのだろうか

そもそも頭は大丈夫なのだろうか

頭がおかしいと言われ続けてそれでも自分はおかしくないと思い続けているということはやはりおかしいということになるのではないだろうか。

そもそもおかしいというものは可笑しい、笑うことが可能、、、変、、、

そんなことより大丈夫なのだろうかということに尽きる。

電磁波らしきものが今日はあまりない

許してくれたのですか?

多様性の否定と右傾化